A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

ザリガニパーティー  石川通敬

 ザリガニを食べたことがある日本人は少ないのではないだろうか。

 今では農薬とあぜ道が整備されたため滅多にお目にかかれないが、私が子供の頃には、田んぼにぞろぞろいたものだ。
 戦後何もない時代の子供たちとってザリガニは、ドジョウやイナゴと並んで手ごろな天然のおもちゃだった。ザリガニが食べられるものであることを知ったのもその頃、小学校一年の時であった。

 敗戦直後の食糧難を逃れて東京から静岡に疎開してきた母方の祖父が、玄関わきの小川からザリガニをとって、みそ汁に入れて食べたのだ。

 家族は驚き、大いに心配したが、本人はすましていた。もともとザリガニは、ニューオルリンズに代表される熱い沼地に生息するもので、フランス人がスープの食材としてきた歴史がある。祖父は一〇〇年前にサンフランシスコに駐在していた。そのときフランス料理としてザリガニを食べていたため抵抗なく食べたのだろうと私は推測している。


 時は移り、我が家ではここ20数年夏には、ザリガニパーティーをしている。ザリガニは春から脱皮を繰り返し八月ごろ立派に成長し食べごろになるからだ。ただし我が家の料理は、フランス風ではなくフィンランド式である。
 その出会いは35年前のヘルシンキ出張にさかのぼる。当時私は銀行の駐在員としてロンドンにおり、北欧には国際金融商品の売り込みによく出かけていた。ある時現地の友人がしてくれたアドバイスが、出会いとなったのである。

 彼は「競争相手と違った方法でフィンランド人の心を捕まえなければビジネスには勝てない。ヘルシンキ一のホテルで、ザリガニ(英語ではクレイフィッシュと呼ぶ)パーティーを企画し、主要顧客を招待するのがお勧めだ。」

 そうすれば「君の会社は、間違いなくフィンランドでのビジネスに成功する」というのである。その狙いは、フィンランドの国民的夏のイベントである、ザリガニパーティーのスポンサーになることにより、会社の名を売るという作戦だったのだ。

 更に彼は「そのパーティーにカラオケを持ち込めばより効果的だ」というのだ。我々は彼の力を借りて約10年近く毎年「クレイフィッシュ&カラオケパーティー」を開催した。そのお陰で、我が社は大きな成果を得ることができた。


 フィンランドは寒冷地だが、夏にはザリガニがとれる。一年のうち八月だけが、地元産ザリガニが解禁になり、捕ることが許される。
 捕れたザリガニは、香草ジルの葉と種をたっぷり使い、塩も驚くほど入れてゆでる。その後二昼夜ゆで汁の中に入れたまま冷蔵庫で寝かせる。
 このゆで汁が各家庭で競いあうポイントなのだそうだ。食べ方は、至極簡単。鮮やかに真紅にゆであがったザリガニは大皿に盛られる。
 これを一匹づつ各人の皿に取って、尾っぽをナイフで切って取り出し、4センチ四方の薄いトーストにバターを塗り、ザリガニと緑のジルの葉を載せて食べるのだ。彼らの楽しみ方は一匹食べるごとに、ウォッカで乾杯し、全員でフィンランドゆかりのフォークソングを歌う。


 国民的行事と希少な季節商品のため、ホテルでは当時1匹1000円と、とても高価な料理だったと記憶している。また、独り占めして食べていないということを示すためか、全員食べた後頭を外に向け何匹食べたかわかるように、皿に並べる風習が面白い。


 ザリガニパーティーにすっかり魅せられ、我が家でもやりたいと思ったが、仕事が忙しく手が付けられなかった。20年前に少し暇ができたので、家内に相談すると、嫁入り道具に持ってきたタイムライフの世界の料理全集の北欧編で、大きく取り上げられていると教えてくれた。

 そのお陰で我が家でもできるようになった。タイムライフ社は、その後破たんしたが、この全集が出版されたのは、今から半世紀以上も前だ。当時の国際情勢は、アメリカが断トツの力で世界を引っ張っていく状況だった。
 そのみなぎる力が、北欧料理の紹介にまで及んでいた証拠と考えると、感無量だ。


 問題はザリガニの調達だった。日本での大口消費者は、フランス大使館だということは分かった。しかし一般のフランスレストランでは、ザリガニを使うところが減り、今ではほとんど需要がないと取扱業者に言われた。

 そんなことから、土浦や茨木の養魚所に手あたり次第電話をかけ、苦労して確保した。幸い近年は埼玉の水産業者から買えるので助かっている。しかし商売の中心が観賞用のザリガニのようなので、いつまで食用の物が手に入るか心配している。

 ザリガニパーティーの評判は、いつも上々だ。ある友人からは、土浦でザリガニレストランを共同で経営しようと申し出があったほどだ。孫に生きたザリガニがよいと思って2、3匹やったら、ゆでたのを食べたいといわれる始末だ。あるときフィンランドの友人を自宅に招いた。
 その時彼らが、日本産ザリガニのほうがおいしいと褒めてくれたのが、今でも忘れられない。


 そうした中、数年前にNHKの歴史ヒストリアでザリガニスープが、大正天皇の即位記念の宮中晩さん会で出されたという話が披露されたのを見て驚いた。

 それによると、「政府は、外国の賓客に日本の国威を示したいと考え、フランスで修行中の秋山徳蔵を帰国させて料理長に任命した」。「彼は、熟慮の末ザリガニスープを目玉料理として出す決断をした」
 これに従い政府は、軍隊の力を借りて、北海道で日本ザリガニを探させた。そして二か月かけて3000匹を京都にまで運ばせたという。なお、スープの絵図を含む詳細な記録が、今も国立公文書館に遺されていると報道していた。


 ザリガニパーティーが気に入っているのは、100匹で数千円と低価格なことだ。伊勢海老2匹程度の値段で調達できるのだ。残念なのは、国家事業の食材とされたにも関わらず、国民から忘れられた運命にあることだ。

 つい2、3年前中国でザリガニの人気が沸騰し、爆食されている様が放映された。いずれおいしい中華風ザリガニ料理が開発されるかもしれないと期待している。


            イラスト:Googleイラスト・フリーより

「元気100教室 エッセイ・オピニオン」トップへ戻る