A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

気付かなかったこと 吉田 年男

 一時的に右眼が不自由になった。白内障の手術を受けたのだが、手術は思っていたより簡単に終わった。

 手術より術後のケアーがしんどかった。時間を決めての目薬の点眼、洗髪、洗顔の制限。でんぐり返しなどの運動の制限。眼の手術とはいっても、身体の一部にメスを入れたのだから、それくらいの辛抱はしなくてならないと思ってはいたが、めんどうくさがりやの私にとっては、どれもが窮屈なことであった。医師の指示に従って、しばらくの間、公園での運動を控えていた。


 穏やかな午後のひと時、久しぶりに、公園に出かけた。歩道から敷石の敷かれた広場に入ろうとした。
広場は、いつも運動をしていたところだ。入り口のところの感じが今までとなんとなく違う。よく見ると、そこにあった大きな石が取り省かれている。

 石があった時も、不自由も感じず、石の存在に気にも留めずに広場へ出入りしていた。石がなくなってみると、確かに広場へ入りやすい。
 石のあった周りをよく観察してみると、きれいに舗装もしなおされている。歩道と広場との間にあった、段差もなくなっている。今は車いすの人でも楽に広場に入ることができる。


 永い間、毎日ここを通行していたのに、なぜ通りにくいことに、気が付かなかったのか? 私が気付いれば率先して、公園を管理している区役所に直してもらえるように働きかけることもできたはずだ。

 ひとへの思いやり、優しさのなさに改めて恥ずかしく思った。私が運動を休んでいる間に、広場への入り口が狭くて、入りたくても入ることができずに、辛い思いをしていた車いす使用の人か、もしくはそれに気が付いた人たちが、車いすでも、幼い子供たちでも、楽に広場に入れることができるように、思い余って陳情を申し入れたのであろう。


 耳の不自由な人たちとのコミュニケーションがとりたくて、手話を懸命に覚えようとしたが、途中で挫折した昔の苦い思いが、頭をよぎった。

 気を取り直して、広場の中央に立って、大きく深呼吸をした。そして両腕を回しながら眼を池のほうに向けると、小高い丘のところに、はなみずきが今を盛りに咲き誇っているのが見えた。

 人工的に作られた公園名物の滝の音も、からだを動かしたことで、すこし気分が変わったのか、いつもと違って聞こえる。曲がりくねった公園内通路の両側には、手すりが設けられている。
 いつもみなれていた手すりだが、それさえも新鮮に見える。手すりに近寄って触ってみた。よくみると手すりの何か所かに点字版がついていた。


 入り口に回って、あらためて公園案内図を探した。
 普通の案内図とは別に、そこには、眼の不自由な人のための、立派な金属製の点字案内図が設置されていた。


          写真:Google写真・フリーより

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