元気100教室 エッセイ・オピニオン

ビバ・アンダルシア   金田 絢子

 集英社版『スペインうやむや日記』(堀越千秋著)は大層面白い。

 スペインでは、「フラメンコ」とは、踊りではなくて「唄」(カンテ)のことだという。もう長いことスペインに住む画家の堀越さんは、カンテの歌い手でもある。

「アンダルシアは貧しい。ジプシーは悲しい。『おらぁまだセビーリャ見たことがねえ』何故か。貧しいから
である。政府は汚職まみれ。冬、スペインにも冷たい雨が降る」
 西洋崇拝で「何かというとおフランス」の日本人を笑い飛ばし、「EUはそのうちだめになるぜ」なんて警句も吐く。

 平成元年、私たちが「スペイン・アンダルシアを巡る」ツアーに参加した当時、この本はまだ出版されていなかった。
 私は何の予備知識もなしにスペインの土を踏んだ。因みにメンバーは、夫婦ふた組、ミスとミセスが一人ずつ、たったの6人だった。
 グラナダでは、「穴倉のフラメンコ」を観た。山の斜面に掘られた穴倉へと、デコボコの歩きにくい道をすすんだ。穴は、ほかにもいくつかあったと夫は言うが、私は見なかった。


 穴倉の中は、中央に空き地をのこしてぐるりと周囲に、沢山の椅子が並べられていた。薄汚れたロングスカートをはいた、年配のジプシーが、愛想のない目つきで、白人のカップルをじろじろ見ながら、膝の上の楽器を鳴らした。
 彼女の隣に立っていた12、3歳と思われる美少女が、私に笑顔を向けた。

 今では、踊り手の服装も唄も何もかも、かすんでしまっているが、たとえ演出にせよ、ショー化されたものにはない、そこはかとない哀愁があった。

 街灯もない暗闇に、ライト・アップされた、美しいアルハンブラ、何気ないトレモリノスの海岸の様子、どこかさびれた闘牛場など、目の前に浮かんでくるが、ひときわ懐かしいのは、セビーリャの小さなまち、「マカレナ」である。

 昼食をはさんだ観光のあと、ホテルに戻り自由時間となった。ほかの4人は街の中心部に、添乗員と買い物に行ったが、私たちはホテルに残った。


 このへんにどこか観るところがないか、ホテルの人に尋ねると、マカレナ教会に、涙を流しているマリアの像があるという。早速出かけた。

 ひなびた小さな教会で、礼拝堂もせまい。正面に金メッキの大きな像があった。上部が見上げるほど高い位置にあるので、下からではよくわからない。
 見まわすと、二階への階段をのぼったところに、資料室がある。階段をあがり部屋に入ってみた。いろいろなものが並んでいるが、マリアの像らしきは見当たらない。

 そこへ、若い男性が寄ってきて何か言うが、ちんぷんかんぷんである。何せスペイン語は「グラーシアス」と「シー」ぐらいしか知らない。
 そのうち、指を目の下にあてて、涙が落ちてくる仕草をする。涙のマリアのことらしい。夫が「シー、シー」と言った。すると彼は、こっちへ来いという風に手招きをした。

 廊下を幾歩か行ってから、ドアを入ったのだったと思う。気がつくと手の届かんばかりのところに、涙を浮べたマリア様の横顔があった。ふるえるほど感動し、しばらくはただ見とれていた。顔の部分がちょうど階段をのぼった高さだ。

 かなり大きな彫像である。
「グラーシアス、サンキュー・ベリマッチ」
 夫はうわずった声で言った。二人とも気分よく、階段を降りて、礼拝堂の入口まで戻ってきた。一緒について来てくれた若者に
「グラーシアス、アディオス」
 手を振って外へ出た。私にも夫の興奮が伝わり、
「チップをあげなくていいの?」
 とは言い出せなかった。


 歩きながら夫が、
「あのお兄ちゃん親切だったけど、なんで最後に変な顔してたんだ? あ、そうか。チップを忘れたね。わるいことしちゃったな」
 公園の側を通りかかったとき、夫は転びかけた。感動の余韻のせいだったかもしれない。
 近くにいた、ソフトクリームを頬張った青年が、さっと右手を差しのべた。それにはすがらないで、夫は転ばずにすんだのだが、彼のとっさの機転が嬉しかった。

「涙のマリア」は、キラキラではなく、淡いブルーで私の瞼にのこっている。
 ふりかえれば、未知のアンダルシアから、いい思い出だけを持ち帰ったのだ。そんな気がする。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

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