A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

もういいわ = 青山貴文

 松の大樹が、校内の歩道のあちこちに葉影を作っている。松の緑と赤レンガの建物がうまく調和して絵のようだ。
 白いユニフォームの十数人の学生たちが、萌黄(もえぎ)色の芝生の上で、大声を出しあって白球を追っている。

「もう一度、若い頃にもどってみたいな」
 と、私は思わず言葉を発し、並んで歩いている妻に同意を求めると、
「私は、もういいわ」
 と、妻は気のない返事をする。
(そうだろうな。品性が少し欠けるが理解力のある亭主を持ったんだからな)とほくそ笑んでいると、
「これから、また同じ苦労するのはごめんだわ」
 と、妻は私の思いをひっくり返し、冷めたことをいう。
(何を言うか)
 と、妻を無視して数歩先を歩くと、
「ご両親を看ながら、出来のあまり良くない二人の子どもを育ててきたのよ。あんな苦労するのは一回で十分だわ」
 と、昔のことをチクリと云う。

 妻は私の肺気腫の父を看取り、さらに認知症気味となった母や子供達のことで、いろいろ苦労をしてきた。
 親しい友から、
「お前のかみさんは偉いよ。今どき、親の面倒を看てくれる奥さんは少ないぞ。大切にしろよ」
 とよくいわれたものだ。

 だが、あのころは、私も一緒にいろいろと手を貸してきたはずだ。ただ、会社に通っている頃は、単身赴任も多く、両親と二人の子供の面倒を、妻一人に任せきりになってしまった。
 これが、いまだに妻に頭が上がらないわけだ。

 今日、わたしたちは熊谷に所在する立正大学のキャンバスに公開講座『ゆとりある社会の実現と労働時間』を聞きにきている。
 この講座は、聴講生の数は500人くらいで、年2回、春秋に開かれている。毎回5~6週間で、土曜日午後1時から2時間余りの授業だ。
 すでに、通い出して7年になる。ほとんど出席しているので、申し込まなくても招待状が来る。

 太っ腹な妻は教授の講義を聞きながら、私の隣で堂々と顔を机に伏せて数分の仮眠を取っている。これだから諸々の面倒をみて来れたのであろう。
 私はといえば、いつもの聴講スタイルで顔を真っすぐに向け、目を瞑って聞きながら、いろいろ考えたり、数秒仮眠したりする。頭がコクリと落ちないのが、私の特技だ。

(学生時代は、アルバイトで明け暮れた。やはりもう一度若返って、クラブ活動をおもいっきりやってみたい)
 講義は、そっちのけで、先ほどの妻との会話を反芻する。

(いまさら若くなれないが、今できることはまだまだある。思いっきりやってやろう)
 そう気を取り直し、ちょっと薄目を開けて教授の顔やパネルを観る。すぐまた目を閉じ講義に耳を傾ける。わたしは目を閉じて聞くほうが、目が疲れず、その上よく理解ができるのだ。
妻は、仮眠から覚め、スッキリした顔て講義に集中している。

 土曜の午後の学舎は静かで、講義は続く。
 似たもの夫婦は、共通の新しい情報を仕入れ、その話題で話し合う。そのことが好きだ。さらに、若々しいキャンパスの雰囲気も嬉しい。
 講義後、キャンパスを散策して、若い学生たちから元気をもらおう。
 熊谷に立正大学があってよかった。

                          イラスト:Googleイラスト・フリーより

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