男の色気 = 遠矢 慶子
野生のすみれが一面に咲き。地面を紫色に染めている。その横の菜の花の黄色い群生が良くマッチしている。竹林にかこまれた広い庭、いつ通っても四季折々の花が楽しめ、つい立ち止まってしまう。その隣の家の庭は一面蕗の薹、新緑のフキの葉の間に、花が咲いた蕗の薹がつんつんと立っている。
庭のないマンションに越してから、人さまの庭を見て楽しませてもらえるのは有難い。手入れもせずに四季折々の季節を満喫できる。
葉山町民大学講座で教育総合センターへ行く。
今回の講座は「イギリスの文化」で70名の募集に150名の申し込みがあり、急きょ人数を100人にしたというので、机も3人掛けで少々窮屈だ。
5回シリーズの2回が終わり、今日は3回目のダニエル・デフォーの「ロビンソン・クルーソー」だ。
子供の頃、童話として読んだ思いはあるが、ダニエル・デフォーが、イギリスを代表するこんなすごい作家という認識はなかった。
講座中、何気なく私の目が隣の列の斜め前に座っている人の足を捉えた。
くるぶしまでのスニーカーソックスをはいた男の足だ。チノパンツの骨ばった長い脚、直角に折った膝の下に、赤いふちどりのスニーカーをはいている。
「すてきな足」というより「男の色気」を感じた。
私はその足にくぎづけにされ、ついちらちらと目が行ってしまう。
仙葉豊先生の講義も上の空。ロビンソン・クルーソーにみる経済学、宗教学、社会学、伝統主義の非合理性を先生は論じている。
見知らぬ男の、それも足に色気を感じるなんて、80年生きてきて初めてのことだった。
そもそも私は、自分自身に色気がない。
若い頃付き合っていた男性の車に乗ったとき、「女性が乗ってきた感じがしない」と言われたことがある。
彼はミュージシャンで、玄人の女性との付き合いが多く、そんな女性たちは、車に乗るとぷーんとお化粧の匂いがして、「降りた後までもするんだよ」と言った。私は無臭の色気のない女だった。
男の色気を持つ男の上半身に目が行くと、なんと八十歳前後のつるつるにはげた頭があった。ユル・ブリンナーのようだ。
私は、歳を取っても熱心に講義を聴く男の姿に惹かれたのかもしれない。いやいややはり足だ。あの骨ばったくるぶしの魅力だ。
電車の中で、夏の浜辺で、伸び伸びと育った若い男性の姿はいつも目にする。見ていて気持ちが良いほど張りのある贅肉のないしまった身体は、イタリアの張彫刻を見るようだ。
でも、今日の男性の足も捨てたものではない。
美しいというよりある種の、本物の人間の色気があった。
今日の講義は、ちょっと邪魔が入り、集中していなかった。もらった資料をゆっくり家で読み直そう。
町民大学講座は楽しい。学生時代と違って、本当に熱心に聴く、周りの聴講生も真剣で質問を投げかける。そして試験がないのが嬉しい。
その上、今日は座った場所の役得で、男の色気のおまけがついた。
イラスト:Googleイラスト・フリーより