きりぎりす = 桑田 冨三子
「きりぎりす なくや霜夜のさむしろに衣かた敷き独りかも寝む」
百人一首で聞いた歌だ。
今までは「恋人に逢えない一人寝の寂しさを吟ずる作者はさぞかしイケ面の若い公家で、金色刺繍を施した派手な衣装をまとい、傍のきりぎりすの緑が映える美しい絵」と想像していた。
ある日、ふと、「きりぎりすはそんな寒い冬に居るのかな?」と不思議に思い、調べたところなんと、「こおろぎ」の事を、昔は「きりぎりす」といっていたそうだ。
なるほど。こおろぎなら、この寒そうな筵の部屋に居ただろうな。これまで想像していた華やかな絵は跡形もなく消え去り、後にはしょぼくれた男が筵の上に衣を敷いてすわり一匹の小さな黒い虫が一緒にいるという、淋しい墨絵が残った。
「蟻ときりぎりす」の話がイソップにあるが、きりぎりすは、お洒落なタキシード姿で、夜じゅう音楽を奏でるアーティストらしく描かれている。プライド高い音楽家だから、冬になって働きものの蟻の家へ行って食べ物を請うなど、とてもつらかったろうに。それとも「武士は食わねど高楊枝」と、我慢したのかなあ。タキシードのきりぎりすには、なんとなくそんな想いをよせている。
昭和の終り頃、母についてパリ、コレクションに行った時のことだ。グランド・ホテルでファッション・ショウが開かれた。デザイナーは久しぶりに戻ってきたイヴ・サン・ローランであった。ショウの最後を飾ったのは、思いもかけない、男性の燕尾服を基に巧みに変身させた女性のイヴニング・ドレスである。とっさに私は思った。
「あ、きりぎりす。」
それは、まことに優雅な女らしい雰囲気が漂う見事なスワロー・テイルで、病後のサン・ローランの復活を憂いていた会場を一気に魅了した。「天才、サン・ローランは健在」と、居並ぶ観客たちは安堵した。
以前、ディオール後継者のジョン・ガリアーノが、カモシカの美しい線を取り入れ、天才的なデザイン力をしめした事があったが、今度はきりぎりすの番だった。羽や身体の曲線、脚の直線と鋭い角度などが見事に取り入れられ気品高いクラシック・エレガンスを創り出していた。
自然界の虫には、人間の思いつきをはるかに超える美しい線を持つものが沢山居て、これは航空機や自動車などの工業デザイナー達に大きなヒントを与えているのは周知の事だ。
イラスト:Googleイラスト・フリーより