A033-「幕末藝州広島藩研究会」広報室だより

【穂高健一の歴史エッセイ】 米国で「日の丸演説」= 伊藤博文

昨日(2021.10.9)の大河ドラマ「青天を衝け」を観ていると、明治4年に岩倉具視使節団が横浜港から欧米に旅立つシーンで、次回への期待になった。
 
 次はどんなドラマになるのかな。伊藤博文の張ったり「日の丸演説」はきっと描かないだろうな、と思った。もし、それがドラマで展開されるならば、脚本家にネタバレして申し訳ないけれど。
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 伊藤博文は第一代の内閣総理大臣である。このたび岸田文雄さんが100代に就任したので、ちょっとした新鮮なネタかな。

 伊藤博文は歴史エピソードの宝庫だ。かれの人生は捧腹絶倒もずいぶんありだ。長州藩のド田舎の百姓の倅から、内閣総理大臣になったのだから、豊臣秀吉と肩を並べる。木下藤吉郎が信長に仕える、伊藤は木戸孝允の書生のような存在だった。

 松下村塾で吉田松陰から学んだと当人はいうけれど、どの程度の学力かわからない。日本国内の学歴は寺小屋・松下村塾までだ。が、文久時代にはイギリスに留学している。下関戦争の噂を知り、早々と日本に帰ってきたから、1年足らずである。

 この人物のすごさは英語が堪能で、ずば抜けていたことだ。聴感と記憶力が良かったのだろう。かたや女に手を出すのも早い。蓄財よりも、祇園の舞子、下関の芸子(妻にしている)、新橋の芸者らとの女遊びが派手だ。
 一晩に数人の女を相手にする、とまわりは呆れている。信頼度は不明だが、時おり2人、3人の女が同室の横の寝床にいた、という。この手の噂は尾びれがつくから、真実はわからない。

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bn_1000f_c.jpg  第一回目の総理大臣は誰にするか。伊藤本人はまさか自分が首相になるとは思ってもいなかったようだ。まして、将来、紙幣の肖像になるとは思ってみなかっただろう。天皇親政を掲げた明治政府だから、公卿(くげ)がなるものだと伊藤は考えていたらしい。

「我が国は近代化で、外国の公使らと英語で話せないと、風采が悪い」
 たぶん井上薫の弁だろう。その一言で、伊藤博文が首相に決まった。

 当人は女遊びが派手だし、政治家といえども、金の成る木があるじゃないし、初代内閣総理大臣に任命されても、伊藤には住まいがなかった。狭い借家住まいだった。
 それでは外国から要人がきたときには,わが国のトップとして示しがつかない。当時の政治家たちが考えたのが、総理大臣の執務と住居をともにできる「首相官邸」だった。

 最近、TVは首相官邸から中継されるが、その建物は伊藤博文の女道楽の賜物である。 
 
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 ところで「日の丸発言」に話をもどすと、明治4年12月14日夜、岩倉使節団の歓迎会が、モントゴメリー街のグランドホテルで開催された。会場には日章旗と37星の星条旗が掲げられていた。
 参列者は知事、南北戦争で勝利した将軍、上級住民たち300人だった。米国人らは、初めてみる日章旗だ。
 かれらは太陽という認識でなく、ウイスキーの赤い栓(封蠟・ふうろう)だと言い、会場でクスクス笑っていた。

 星条旗は星、日の丸は太陽、という違いなど、だれも理解できていない。 
 ここで伊藤博文の愛国心に火が点いたのだ。持ち前の大ぼらと張ったりと、とてつもない上手な英語力とで、
「この日の丸は、維新革命で生まれた崇高な賜物である。赤き丸は、朝日が昇るときの尊い徽章である」
 ここで止めておけばよいものを、
「我が国は封建の永き悪しき制度が、一発の銃弾を放たず、一滴の血も流さず、人民の自由の自覚でなされたものである」
 と演説をぶった。

 戊辰戦争を知る使節団の高官らは英語がわからない。米国人は日本の歴史を知らない。あるのは南北戦争で60余万人の死者を出してしまった歴史的な暗い事実だ。
 それゆえに、伊藤の語る無血革命におどろいたのである。
 
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 明治4年7月、岩倉使節団が出発するまえ、廃藩置県が行われている。これは戦国時代からつづく群雄割拠260藩の大名制度を総てなくしたうえで、郡県制で一つ国家に統一したものだった。それ以前は260藩がそれぞれ「お国」という幕藩体制だった。
 たしかに、この廃藩置県をみれば、強固な封建制がひとりの死者も出さず、成し遂げられた。世界的にまれにみる大革命であった。
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 ただ、日本人は明治新政府による戊辰戦争という東西分裂の大戦争があったと知る。
「廃藩置県」にかぎって言えば、あながち一発の銃弾も撃たなかったという事実は間違っていない。さかのぼれば、15代将軍徳川慶喜の大政奉還も、幕府が政権を朝廷に返上した。これも世界史ではまれにみる無血革命だった。

 伊藤は、戊辰戦争を語らず、大政奉還からすっとんで廃藩置県の双方の無血革命を語ったのだろう。

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 伊藤博文が「日の丸」は太陽であり、自由と平和の象徴だと世界に知らしめたおおきな功績だった。
 しかし、太平洋戦争でわかるように、日本軍の戦旗として「日の丸」が使われた。世界中から、日の丸は「平和精神の象徴」という信頼度を一気に失墜してしまったのだ。
 明治4年のアメリカにおける伊藤博文の名演説だったが、いまや教科書に「日の丸演説」として登場してこない。

 次回の大河ドラマで、出てくるか否か。脚本家の史観しだいである。

      千円札紙幣 = 日本銀行のHPより     

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