フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

【歴史エッセイ】井伊大老の歴史評価、善か、悪か。あなたはどう見る? ②

 歴史作家・司馬遼太郎は、「安政大獄」を起こした井伊直弼に対して、『支離滅裂で、狂気のように弾圧した』と述べている。まさに、傍若無人の悪者扱いである。
 勝海舟が、
「安政大獄となると大騒ぎするが、思想犯の処刑は8人だ。日本の歴史からみれば、この処刑人数は小さなできごとのうちだ」
 と言い放った。

 近代史のなかで、私たちが目を背けてはならないものに、明治44(1911)年の「大逆事件」がある。幸徳秋水らは明治天皇の暗殺を謀ったという理由で11人が処刑された。それは明治政府のでっち上げで、全員が無実だった。

 明治政府が幕末史を作った。

「桜田門外の変」のスケッチ。広島県・大崎上島の望月邸から出てきた。撮影=穂高健一

 井伊直弼は悪役のイメージが強調されてきた。と同時に、「桜田門外の変」の井伊大老暗殺が正当化されてきた。

 ひとの命は単純に比較できないが、「安政の大獄」は幕府の規定に反した処分だったが、明治政府の「大逆事件」は無実のひとを陥れる思想弾圧だった。明治政府の方がひどいと思える。司馬遼太郎は大正12(1923)年に生まれている。明治時代末期に起きた「大逆事件」はそんなに遠い事件でない。
「明治政府は近代化をおしすすめて、西洋列強と肩をならべる軍事大国にまでなった。日本人の優秀さがここにある」
 そんなふうに明治時代を礼賛する作家であるにしろ、井伊直弼が狂気のように弾圧したと決めつけるのはかなり公平感に欠けている、と言わざるを得ない。

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 明治政府の長崎の「浦上四番崩れ」というキリスト教徒の大弾圧では、三千数百名が西日本の各地に流刑された。ほとんど、すべてにわたり拷問・私刑、水責め、雪責め、氷責め、火責め、飢餓拷問、箱詰め、磔、親の前でその子供を拷問する。
 過酷さと陰惨さ・残虐さが欧米諸国から激しく批判された。明治4年の岩倉具視たち欧米使節団は、行く先々の国で、民から石を投げられたほどだ。
「浦上四番崩れ」の死者の数は計り知れない。
 歴史は勝者が作る。これら宗教大弾圧はいまもって教科書の上から抹消されている。日本人の大半が知らない。
 安政の大獄の処刑・8人と比較しろとは言わないが、日本史教科書は極度に不公平である。
  
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 世の中が変われば、歴史上の人物も見直されて再評価される。開国と通商を推し進めた歴史上の功績がある井伊大老を暗殺することが、正当化されて良いのか。通商の反対派の「攘夷」なる主張は、いまや笑止な愚論ではないのか、という薩長批判が出てきたのだ。
 水戸浪士の集団テロ活動が正当化されなくなってきたのだ。

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 井伊大老の人生は苦労人そのものである。幕府のトップとして規律を重んじ、実直で、合理的で冷静な判断があればこそ、安政の大獄が起きたともいえる。
 井伊直弼は、文化12(1815)年に、第13代藩主の井伊直中が隠居後に、側室の子、十四男として生まれた。当人はここから彦根藩主になれるなど、思っていなかったようだ。花の咲くことのない身と考えていた。「埋木舎(うもれぎのや)」と名付けた邸宅で、17歳から32歳までの15年間にわたって300俵の部屋住みとして過ごしている。
 柳の木をみずからの生き方としている。
 井伊直弼は長野主膳から国学を学んだ。とくに熱心に茶道(石州流)を学んでいる。ほかにも、みずから台本を作るほど能や狂言にうちこんでいる。和歌、鼓、禅、兵学、居合術を学ぶなど文武にたけていた。


 31歳の直弼は、弘化3(1846)年に、第14代藩主の井伊直亮の養子という形で、彦根藩の江戸に召喚された。そして、直亮の彦根藩の後継者に決定する。
 直弼はまだ世子で、藩政を補佐する身分になった。ちなみに4歳年下になる、27歳の阿部正弘はすでに老中首座(内閣総理大臣)となって、内憂外患の国難を取り仕切っていた。
 嘉永3年(1850年)11月21日、藩主・直亮の死去で家督を継いだ。ペリー来航の3年前である。藩政改革に取り組んだ。このときから長野主膳(安政の大獄を京都で推し進める)を幕政に関与させている。
 井伊直弼は藩主になると、藩政改革を推し進めた。3年の在任中に、9回も領内の巡視を行っている。善行者たちを表彰し、貧しいものには救済や金を与えるなど、領民から慕われていた。

 安政の大獄で処刑された吉田松陰が、国元にあてた手紙で、『井伊直弼は名君だ』と高く評価している。皮肉といえば、皮肉である。
 松陰は萩から江戸に証人尋問のために送られてきて、幕吏から問われもしないのに、老中暗殺計画を得意げに語り、結果として刑死したのだ。
                         【つづく】
                    

                     

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