A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

フクシマ原発は核災害だ。ことばで本質をごまかしている=ペンの日

 日本ペンクラブが創立したのは昭和10年で、初代会長は島崎藤村である。創立記念日となる「ペンの日」が11月26日(火)に、千代田区の東京會館で開催された。冒頭対談は若松丈太郎さん(福島・相馬市在住)と、アーサー・ビナードさん(ミシガン州出身)のふたりの詩人である。

「私は勿来(なこそ)から南で暮らしたことがない、奥州人です。東北という言葉がきらいです。メルトダウンの町、デッド・エンド(死の淵?)の町からやってきました」と若松さんは自己紹介をする。

 ビナードさんは日本語でシャープな詩を書く。『釣り上げては』で中原中也賞を受賞している。主な詩集に、『左右の安全』、『ゴミの日』などがある。
「私が生まれ育ったデトロイトから西へいくと、カリフォルニアでした。そこで日本にあこがれ、西へと行くと東京に着きました。私は西に行ったつもりだったが、極東でした。なぜ西が東でしょう」と言葉の敏感な詩人らしい自己紹介だ。
「さらに西へ行けば、東南アジア、中近東となります。地域の東西とは何をもった価値基準でしょう。この本質が解らない。ヨーロッパ中心時代の名残でしょう」とビナードさんは日本語で流暢に語る。

 東西南北から、話題がすすみ、若松さんはこういう。
「生まれ育った福島は決して東北ではない。住む人自体がなぜ東北というのだろうか。これは自分たちの発想ではない。「頑張ろう・東北」の目線はどこからきているのか。どこを中心として決めているのか、疑問である」
 ふたりの対談の歩調が合ってきた。

 ミナードさんが若松氏の宅に二度も訪ね、浪江町に案内してもらうなど、親しい交流が続けられている、と明かす。福島第一原発へと話題がすすむ。

「南相馬からは真っ直ぐいわき市まで行けなくなってしまった。浜通りに福島第一原発があるから、交通は遮断されてしまった。私は、決して原発事故という言葉は使わない」
 事故は当事者だけに被害が限定される。福島原発は生やさしい状況ではない。人間が核をコントロールできるとした驕(おご)りである。
「人間が作り出した災害で、広範囲に被害を及ぼしています。だから、核災害です」と若松さんは、詩人として、正しい用語の使い方を強調した。
 中國新聞の論説委員が、「核災害」「核罪」という若松さんの言葉を使いたいと行ってきたとも明かす。


「汚染水というと、自然水、天然水、還元水と同列に見えてしまいます。これは言葉のごまかしです。本質を隠しています。ダダの汚れた水に思えますが、危険な放射性物質が大量に含まれているのです。汚染水は中身と合っていません」とミナードさんが痛烈に批判する。

 都市生活の生活は豊かになる。それ以外の人に負担と犠牲を強いている。ふたりの話題は核と人間社会の格差の話題に集中していた。

「核災害が起きた時、私たち住民は相馬から郡山市・福島市の方面に逃げました。南風が吹いており、そっちの方が線量は高かったのです。自宅から逃げなかった方が、線量が低くてすんだ。原発事故はまさにロシアンルーレットです」と話す。

 永田町の茶番劇と茅場町のマネーゲームとで原発は推進されてきた。東京からは、核被害は見えない。私たちの人生は痩せ細っている。
 さかのぼれば、第一原発、第二原発の建設中から、岸壁の切り立った崖の下を掘り下げて、原発を作る、それ自体が危険なものに思えた。地元の詩人は災害の予言とその恐怖を詩にしてきた。稼働後もなにかと住民に嘘をつき、ごまかし、はぐらかし、釈明し続けてきた。その挙句の果てに、核災害だった。

「怪物を否定する言葉はなかなか届かない。それでも、継続的に書くことが大切です。真実はいつも少数派です」と若松さんがひたむきな決意で締めくくると、ビナードさんが、
「文学者はことばを作る責任がある。言葉との戦いが重要です」
 と会場の文学者や作家たちにつよい視線をむけた
 2人の詩人は、まさに的確な言葉で、真実を言い表していた。「核災害」を「原発事故」とごまかす。偽りの言葉をいかに見抜き、それと戦うか。
 まさに、「ペンの日」にふさわしい対談だった。

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