A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

原発安全神話のメッキは3・11前から剥がれていた②=浪江町

 郷土史家(男性・70歳前半)は、4日間も妻と娘とともに過ごし、1時間当たり55マイクロシーベルト)の高濃度の放射能に晒(さら)し続けてきたのだ。
「いま思い起こせば、3・11の事故前から、東電が強調してきた『原発安全神話』のメッキが微妙に剥がれかけていました」と史家は話す。
 史家は町の行政一筋の人物だけに、それらをリアルに語ってくれた。
 


 スリーマイル島の原発事故、チェルノブイリ原発事故が発生した。浪江町の住民は疑問を持ちはじめ、「東電の安全神話はどうなのかね」と口々に話題に出すようになった。東電と住民(町役場)との対話の場では、そんな内容の質問も出た。

『チェノブイリも、スリーマイル島も、事故を起こしたのは加圧式原子炉です。私たちの福島第一原発は沸騰水型軽水炉です。原子炉の本体は30~40センチの厚い鋼鉄製です。それを1メートルのコンクリートが取り囲み、さらに原子炉の建屋自体もコンクリートが1メートルの厚みがあります。加圧式は危ないが、大熊(原発の地名)は形式が違うし、大丈夫です』
 沸騰型は安全だと強調する。万が一のことがあっても、放射能が外部に流れ出すことは一切ない。
「原発の煙突から、放射能は出ないのか」
 史家がそう質問した。
『煙突と言わないでください。あれは排気塔です』

 原発稼働から歳月が経つと、東電は廃炉の期間(耐用年数)を先延ばしにしてきた。完全無比の安全神話の姿勢が少しずつ変わってきた。
『微量の核物質は排気塔から出ますが、微粒子の核物質です。空気中に拡散し、希釈しており、人体には影響はありません』
 東電は微小の放射能流出の発言に変わったのだ。

 しかし、東電の力(支配力)は強い。住民には雇用、税、補助金の面でメリットを受けている。東電の支配力は強烈で、微粒子ていどで、原発の廃炉を叫ぶ者はいなかった。そういう空気でもなかった。

 むしろ、浪江町の町役場は、微粒子問題が内在していても、東電が強調する安全神話を信じ、住宅開発を推し進めた。「原発は安全です」と町自体がPRを行っていた。
 浪江町は他の地区に比べても、公共設備(上下水道、病院など)や、生活環境が優れている。税の優遇もあるし、住み心地の良い町だ、と宅地開発は完成に向けて突っ走っていた。町の景気は上昇中だった。その矢先に、原発大事故が起きたのだ。

「新興住宅地は完全にバアーですよ。放射能汚染された土地や家屋を新規には、誰も買わないですからね」と史家は話す。


 福島県のある漁港の漁協幹部に、原発事故後の東電の漁業補償問題を取材した。3・11後の東電による補償額は、事故前の漁獲高に対する一定比率で決まる。
 漁協を通さず、産直などで直売していた人は、漁協の帳簿の金額が少ない。だから、スライドして補償額が少なくなっている、と語ってくれた。
 人間は打ち解けると、隠された真実、本音のところを聞かせてくれるものだ。

「実は、3・11の事故前から、原発沖は放射能が検出されてたんだよ。原発が稼働した1971(昭和46)年に、漁協は膨大の補償をもらった。町はそれで賑わったものだ。その後、海水から放射能が微量に検出されても、人体に影響ない、と東電から言われると、黙っておくしかない」
「補償は40年前に先取りで貰っているからですね」
「それもあるが、世間に公表して騒ぎになれば、福島の魚が売れなくなるから。誰も喋らなかった。ほかの原発も大なり、小なり、そうじゃないのかな?」と過去の沈黙をいま語ってくれた。
 
 史家の話、漁師の話はともに符合する。原発は稼働すれば、微小ながら放射能の流出はあるようだ。元もと「原発安全神話」は住民の目をごまかす、反対運動を封じ込める、作為的な作り物だったといえる。

 改めて、これは福島第一原子力発電所だけの問題だろうか、と考えさせられた。


          写真:賑わっていた浪江町の繁華街は、いまも漁船が残されている
              第一原発から約7キロ地点

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