A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

ひとつ家族が三者三様だった(下)=いわき市久ノ浜の大津波で

 夫人は町内の美容院で、髪を染めていた。大地震が発生した。大きな揺れが続いたけれど、頭髪を処してもらってから、軽自動車で自宅に向かった。
 道路には落下物が散乱していた。あれだけの大地震だから、当然だろう、と思った。それを避けながら、難なく家に着いたという。
「地震で、水道は断水したけど、電気も来ているし。私は地震も、火事も見ていないし、父ちゃん(夫)が出かけるときと違う服装で帰ってきて、横たわり、はー、はー、と息をついているけど、一言語らないし」
 死の淵から戻ってきた正次さんは、津波の恐怖で口が利けなかったのだ。だから、説明もできなかった。


「息子は沖に出たら、一晩や二晩、漁で帰ってこない。夜帰ってこなくても、なんにも気にならなかった。父ちゃんははー、はーとため息をついているだけだし」
 水道が断水しても、ペットボトルでご飯は炊けるし、不自由はなかった。買い物も終えていたし、出かける必要もなかった。

 翌朝は火事はほぼ沈下していた。戸外に出ると、近所の人に出会った。大津波で国道6号線まで町は全滅になった、大勢が中学校の体育館に避難している、と聞かされた。
「半信半疑でしたよ。地震の揺れは強かったけど、だだ広い太平洋に面した久ノ浜が津波に襲われるなんて。覗きに行ってみようと、軽い気持ちでした」
 体育館では、大勢が床に坐り虚脱状態だった。どの顔も生気がなかった。炊き出しのおにぎりを食べている。
「何が起こったの」
 彼女はまだそんな気持ちだったという。
 その大津波に、夫が飲み込まれていたとは、この段階でもわかっていなかったという。

 後日、正次さんは血液検査をしてもらうと、ゴキブリの卵とか、カビとか、得体のしれない物質が検出された。
「どんな家に住んでいるんだね」
 と医者から聞かれた。(救援の医師)
 津波が海底のヘドロを巻き上げた。そこには人間の生活排水が沈殿しているから、あらゆる雑菌や微生物がいたようだ。
 正次さんは、歳月が辛い記憶を和らげてくれたのだろう、苦笑しながら教えてくれた。
 息子は三日間の沖出しで、恐怖と戦いながら、ひたすらタバコを探していたという。

「2年半たった今でも、私だけが破壊された瞬間を知らないから、大津波の恐怖が実感としてピンとこないんですよ。父ちゃんが津波に巻き込まれた、と聞かされても、他人事みたいに」
 奥さんはそう語る。まさに、三者三様の動きとなった家族だった。
 


 写真説明:いわき市の芝田正次さんが、自宅倉庫で漁網の特徴を語る

「フクシマ(小説)・浜通り取材ノート」トップへ戻る