A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

ひとつ家族が三者三様だった(上)=いわき市久ノ浜の大津波で

 7月2日、私は戊辰戦争・浜通りの戦いの取材で、因州(鳥取)藩が駐留した久ノ浜に入った。5月に続いて2度目の訪問である。いわき市・久ノ浜は近海漁業が盛んで、水揚げされる魚種の多い港町である。漁師の芝田正次さん(60代)ご夫婦から、150年前の漁法などを取材していた。
 現在はフクシマ原発事故で、福島県沖の漁がすべて止まっている。


 久ノ浜は3・11のとき、大津波に襲われた。そのうえ、火災が発生した。民家が流されたり、焼かれたりして、数多くの命が失われた。(死者・行方不明者は63人)

 ひとたび巨大な大津波に巻き込まれると、人はまず助からないはず。この久ノ浜には九死に一生を得て助かった方が3人いるという。一人は取材中の正次さんだった。当時の話を聞くことができた。
家族は三者三様の動きで興味深かった。

 漁師の家といえば、一般的に海岸にある。芝田家は浜から800メートル奥まった場所である。
「震災の5年前でした、少し大きめの住まいを探していたら、常磐線よりも山側に希望にかなう家があったから、買い求めたんですよ」
「かつてのご自宅は海岸でしたら、大津波の被害に遭っているんですか」
「元の家屋の周辺は全部流されましたよ。」
「実に幸運な買い物でしたね」
「当時、浜から離れて、どうする。不便だべ。と言われましたけどね。住み心地を優先して、この家を買ったんです」
 漁具や漁網の運搬は、むかしの人力と違い、海辺の作業場まで小型トラックを使う。少々、海まで距離があっても、3~5分の違い。さして時間的なものは変わらない、とご夫婦は語っていた。


 3・11の2時46分に大地震が発生した。主の正次さんはとっさに
「沖出しをしてくれ。漁船を沖に出して守るのだ」
 と息子に指示をした。
 息子はそれに応じて自宅を飛び出した。津波といえば、50センチ程度で、今回もそう予測していたから、漁船に水も、食料も積み込んでいなかった。
 想像を絶する大津波は3日間くり返し襲ったという。陸には戻れない、食べる物も飲むものもない。精神的な恐怖感に耐える。そのストレスに対してタバコがほしかった。喫いつくすと、船内に吸い殻は落ちていないかと、なんども探し回ったという。(両親の談話)。


 主の正次さんは、沖出しさせた息子が気になり、小型トラックで海岸にむかった。道路沿いの川が、川底が見えるほど干上がっていた。港に着くと同時に、巨大な津波の第2波に襲われた。トラックの運転席から、正次さんは投げ出された。
「トラックがすごい音で、建物に押しつぶされた」
 正次さんは津波の渦に巻き込まれた。全身が洗濯機に投げ込またように回転し、なにがなんだかわからなかった。

「親父から、海の中に落ちたら、『無理して海水を飲まないように頑張ると、息がすぐに絶える。海水は飲め』。そうすれば、(数十秒は)息がつづく」
 先祖から受け継がれた漁師の知恵が、正次さんの脳裏に浮かんだのだ。真っ黒い泥水を飲むと、海面に浮上できた。そして息ができた。


 そこは殿上岬の崖下だった。無我夢中で、石や木につかまり、登ってきた。真っ黒い海水を飲んだ正次さんは、嘔吐と、寒さで身体が震えながら、自宅への方角に向かった。出会った知人から、ジャンパーなど衣料をもらい着替えて自宅に戻ってきたけれど、恐怖のショックで口を利けなかった。


   写真解説:いわき市・芝田正次さんが、自宅の倉庫から漁網を出して、漁法を説明してくれる

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