A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

住民が生態系異変を語る。猛禽類が増えて飼い猫が獲られた=飯館村

 フクシマ第一原発事故で、双葉郡・飯館村は最も放射線量が高かったところである。全村民が避難し、いまは無人の村である。
 5月30日には、山間部の同村に入ってみた。沿道の民家はすべてカーテンを引く、人影は皆無だった。「無」の世界、「無音」の四方はどう形容したらいいのだろうか。
 拡がる田地は一面が緑の雑草だった。植物だけが呼吸している世界である。あちらこちら車で走り回ると、『飯館牛』の看板が折々に目立つ。村には1頭の牛も居ないのだから。空虚だった。

『村役場』まで行くと、住民課の方が一人だけ執務していた。業務の迷惑になるので、取材しなかった。

 役場の敷地の一角で、細々と除染作業する光景があった。大手ゼネコンの腕章をした責任者は、その実、飯館村の住人で、元役場関係者だった。飛び込み取材だったが、3.11以降の話を聞くことができた。

 3.11大震災で原発事故が発生した。水素爆発する直前から、危機情報を得た双葉町、浪江町、大熊町、南相馬市の住民が大挙して飯館村に逃げ込んできた。同村の小中学校、公共施設は避難民で溢れた。これらの人々にとって、飯館村は単なる避難の中継地点で、すぐさま郡山、福島、会津へと逃げて行った。

「第一原発からやや遠かった飯館村は逃げ遅れたのです。国からの避難命令が出てから、避難へと動きはじめた。しかし、遅かったことから、福島・郡山など中通りのどこをあたっても、もはやアパートなし、空き部屋なし、仮設住宅なしでした。7月まで、この飯館村にとどまることを余儀なくされたのです。つまり、セシウム放射線量が最も高い村に、住民が最も長く居続けたのです」

 いまでも放射線量は高いホットスポットである、とつけ加えた。

 国の方針の除染についても、語ってくれた。
「平坦地や住居周りを1度や、2度、除染しても、放射能の数値はすぐ元に戻ります。なぜか。セシウムは雪・雨で降下し、山林に積もっているからです。それらの放射能がすぐに平坦地に降りてきて、線量を元の値に戻してしまうのです。国は無駄なことしていますよね」
 除染作業の監督が、放射線量の電光掲示板を指して、具体的な数値で語ってくれたから、真実だろう。

 3.11大震災で、飯館牛はすべて廃棄処分ですか、と質問してみた。
「否、食用牛は全部、東京の食肉市場に売りましたよ。3.11から避難できるまで4か月間もありましたからね。村内で、放射能関連で廃棄処分にした牛はいなかったはずです。線量検査して出荷しましたから」
 牛を連れて移住した畜産業の方もいるが、大半は売ってから、避難したという。

「畜産は、輸入飼料を使っているから放射能に無関係です。何年か、何十年先には伝統ある『飯館牛』を復活したい、という希望者はいます。しかし、田畑の農業は継続となると、厳しいようですね。いつ村に戻って来れるかわからない。農機具は売ったし。村に放置してきた農耕機具はもう錆びて使えないし。福島市内のスーパーに行くと、福島産野菜は100円/一束、県外野菜は200円。もう農業はやる気がない、と放棄していますよ。だから、一時帰宅する人も極端に減ってきた」

 
 応対者は、体感的なものですが、と前置きしてから、飯館村の生態系を語ってくれた。
「田んぼの土がなくなったら、鳥類が来なくなった。スズメ、カラス、蚊や蠅がいなくなった。ミノムシが孵化(ふか)しないで腐っていく。鳥がいなくなって、逆に猛禽類が増えてきたんです。鷲や鷹のような大きな鳥が、猫や犬を狙っている。うちの飼い猫も一匹獲られた。空中で、猫を落としたので、良く見ると、鼻上には鋭い爪跡の穴が開いていた」
 空家の猫、犬に対しては3つの団体が餌を運んできている。村民は仮設住宅で動物を飼うと、吠えたり、糞とかで、近所迷惑。この村の自宅で飼って、車で餌をやりに来る人もいるという。
(人間が村にいないから、猛禽類が狙いやすいのかな……)
 私はそう類推した。

 冬がとくに寒くなった、と応対者は強調した。
「福島市内に比べても、飯館は低すぎる。標高450メートの差ならば、約3度(高度100mごとに温度は0.6度低くなる)なのに、7度から8度も違う。それは大気の冷え込みと、家々から出る熱がなくなったからだと思う」
 無人の村は、まさに大気までも冷却させていた。

「フクシマ(小説)・浜通り取材ノート」トップへ戻る