A055-フクシマ(小説)・浜通り取材ノート

東京に原子力発電所をつくろう

 原発「フクシマ」は世界的な用語となった。広島・長崎に続くものだ。大災害となった福島第1原発の東電関係者たちは、命をかけた、最大限の努力をしている。メディアに登場するコメンテーターが、対応の遅れとか、あれこれ当事者や政府関係者を批判している。「だったら、あなたが放射線の危険に飛び込んで、死の覚悟で処してみろ」と腹が立つこともある。

 
原発「フクシマ」の20キロ区域の住人は、立ち退きが命じられた。大津波による、家屋倒壊、生きているかもしれない人も探せない。命ある家畜も見捨て、漁業も船舶を失い、農業も放射線で放棄させられている。そのうえ、不便で窮屈な避難所生活である。さらには、他の都府県に強制移住である。先々の生活がまったく見えない窮地に陥っている。

 首都圏など「計画停電」の対象エリアの人々は、ガス風呂すらもモニターが電気だから使えない。TVも見られない。スーパーも郵便局の機能も停まる。オール電化の家庭は最悪だ。家庭内の機能はすべて停止する。実際に、ロウソク生活だ。

 他方で、東京23区の住民は「計画停電」の外にある。毎日、TVを見て、暖房の部屋で暮らし、好きな時間にシャワーを浴びられる。買い物に行けば、店舗は停電もなく動いている。電気は不自由なく使える。ある意味で、安穏と暮らしている。

 計画停電地区とはあまりにも違いすぎるれ。これは公平・平等の原則に反する。早晩、大反発が出るだろう。

 同原発は再起できるのか。原子炉が回復しても、運転再開となると、かなり難しいだろう。となると、電力供給は先行き、恒常的な不足となるだろう。
もし「フクシマ」原発が廃棄となれば、電力不足による、首都圏の経済は大幅に落ち込む。

 電力が不足すれば、自治機能も、企業活動も、学校も満足に活動できない。結果として、経済が低迷し、個人所得は低くなる。貧しい日本になる。
 冷え切っていく首都圏経済を立て直し、個人所得を確保し、従来の生活の維持を図るならば、電力供給の回復は必須だ。その電力供給はどう図るべきだろう。もはや、そこまで論議するべきだ。

 3月29日(火)、日本ペンクラブ・電子文藝館委員会の会合があった。村山精二副委員長とふたりして居酒屋「浜町亭」に行った。計画停電のある地域と、23区の無停電生活との生活の落差が話題になった。東京都民は自前で電力を作るべきだ、リスクを他の地域に押し付けるべきではない、と意見が一致した。

「フクシマ」原発の代替エネルギーはなにか。風力・太陽発電となると、大需要はまかないきれない。火力発電は地球温暖化に逆行する。水力発電はダムを作ることで、地下水を遮断し、山の崩壊を招いている。となると、原子力発電所に頼ることになる。

 電力は発電所から需要地まで距離が長いと、送電ロスがある。消費者により近いところに発電所を作るのはベストだ。
「東京に原子力発電所を作り、自前で電力消費に対応すべきだ。有明、台場、木場、あるいはその沖合いに埋立地を作れば、建設スペースは十二分に確保できるだろう」と、ふたりは同じ意見となった。


『原発事故があれば、首都機能が麻痺する』
 真っ先に声高にいう人が出るだろう。現状のままでは、そうなるだろう。

 大災害は文明や人の考え方、生活を変える。それは歴史が教える。
 原発事故を前提にした、都市計画を作るべきだ。そのためには官公庁の機能は関西、中部、あるいは他のブロックに分ける。
 民間の本社機能は地方に分散させる。パソコンがあれば、なにも東京でなくても仕事ができる職種は多いはずだ。
 東京在住で、原発が怖い人は地方に移住するべきだ。それは地方の過疎化の解消対策になる。

 東京都知事選挙がある。候補者たちは異口同音に、首都・東京の防災を声高々に語る。このさき関東大地震級が発生し、10メートル級の大型津波が東京湾に入れば、23区はすべて水没する。丘陵地のない東京だけに、数百万人の死者が出るだろう。そこまで踏み込んでいない。まして目先の、東京の抜本的な電力不足の解消すら考えていないようだ。

 東京電力は「住民の反対が強い」と先読みせずに、堂々と東京に安定電力が供給できる、防潮堤のしっかりした「東京原子力発電所」の建設計画を挙げるべきだ。そこから、みんなで考えよう。


               (写真提供:滝 アヤ

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