A075-ランナー

第2回さのマラソン・42.195キロを完走したぞ

 12月10日(日)、栃木県・佐野市で開催された、『第2回さのマラソン』のフルマラソンの部に出場し、完走した。ネット・タイムは4時間06分。年初から4月まで、3つの大会にエントリーしながらも,踵の故障で出場を断念した。練習すらも満足にできなかった。 
    (写真は招待されたタレントランナー:そのまんま東さん)

 約半年間の不調の期間、秋口からやっと日々10キロの練習(雨は休み)ができたが、ロング走はできなかった。これらを考えると、今年1本でも、フルマラソンに完走できたことは満足すべきものがあった。

 今回は父娘で出場した。次女は3時間台の記録を出し、5位で表彰されていた

 スタート前、リハビリのフルマラソンと位置づけていた。『記録狙いは排除し、気負わない。ひたすら完走のみだ』。そのためにも、PJニュースの沿道取材だと決め込んだ。
 腰のポシェットにはデジカメ、ペン、ノートを持つ。スタート前の準備運動は軽いストレッチのみで、予備のランニングもやらなかった。。

 スタート直後は超スローペース。これが準備運動だった。肩をならべて走る次女もおなじペースに付き合ってくれた。
「来年はどこの山岳(やま)に登るの?」と肩を並べた娘が話しかけてくる。
雪の尾瀬、北アルプスの雲ノ平、田子の浦の海岸から富士山頂。この三つは決まっている、と応える。
「私は3月に雪の北八ヶ岳に登る」という。娘は大の山好きだ。雪山登山のアドバイスを求めてくる。
 時折り、こちらはデジカメを取り出し、沿道の声援、応援風景を撮る。地元民がランナーからカメラを向けられたといい、驚きの声を上げていた。

 3キロ過ぎたころ、ふと背後を見ると、わずかな集団と、大会関係者が乗った収容車とパトカーがぴたり付いていた。つまり、父娘はビリ集団のなかを走っていたのだ。それでも意に介せず、のんびり会話マラソンを楽しんでいた。
 
 5キロ過ぎると、ふたりのペースがごく自然にいつもの走行に近づいてきた。前方のランナーが落ちてくる。都度、追い越していく。10キロを過ぎても、父娘は6割ていどの力しか使っていない。会話の合間に、ペンを取り出し、『ダンプカーが多い。危険を感じる』『低山の紅葉はもう終わり』と書き込む。

 20キロ地点では、腹に冷えがきた。トイレを探す。約五分のロス。それから娘を追いかける。ペースを上げていく。沿道には『キロ表示』がほとんど無い。養われた経験から、スピードでは1キロ5分30秒のペースだと読める。沿道取材の意識はもはや棄て、レースを楽しむ気持になった。

 スタート直後の超スローペースが幸いしたのだろう、25キロ過ぎても、疲労感があまりない。両足の筋肉は思いのほか順調だ。踵も大丈夫だ。反面、30キロに達しても、娘の姿は捉えられない。父親に負けじとスピードを上げているのかな?

「4時間を切れないかな?」そんな浴が出てきたのが35キロだった。時計を見る。どうみても、ここから1キロ5分では走れない。

「決断がちょっと遅すぎたようだな」。もし練習が充分にできていれば、3時間30分台の走りができる。脚力は衰えていないと確信が持てた。それは来年への期待がつながった。

 栃木市運動公園陸上競技場に帰ってきた。ゴールに入った瞬間、今年は一本だったが、それでもフルマラソンを走れたという感慨が心のなかに広がった。

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