A075-ランナー

『河口から0メートル』。往復すれば、22キロ

 12月10日は、第二回さのマラソンだ。フルマラソン(42.192キロ)にエントリーしている。

残すところ約一週間。走り込みはどうみても不足している。踵の故障から今年に入ってからは10キロ以上の距離を走っていない。9月ごろから朝方を中心に、週2~4回は10キロを走るように努めてきた。どこまでもリハビリの領域から抜け切れていなかった。

 ここは思い切って、葛飾から南葛西の『河口から0メートル』まで走ってみることに決めた。往復すれば、22キロだ。
 
 この時季の日没は早い。それは承知しながらも、出発は意気込み不足から、遅れて三時半だった。

 葛飾区の中央を流れる中川の護岸道路からスタートした。四つ木橋の袂から荒川放水路の河川敷に入った。迂回路がない滑走路のような八キロの直線だ。こんな直線のロード・コースはそうあるものではない。ひたすら真っ直ぐ前を見て走る。

 左手では首都高速の橋脚が等間隔で走りすぎていく。右手では夕日が浅草の方角へと沈み行く。なおも往復できるのか、と自分の足に問う。結論は出ない。

 昨年の今ごろ、ロング走は頻繁にやっていたものだ。昼前に家を飛びだし、葛飾からおなじ荒川河川敷をどこまでも下り、南葛西に着くと、湾岸道路(歩道)に入り、港区・台場までいった。往復で約40キロ。時にはレインボーブリッジを渡り、左手に東京タワーを見、新橋を抜け、築地ではちょっと寿司屋に立ち寄り、鮮度のよい寿司(腹に貯まらないていど)を補給し、両国、浅草を経由し、葛飾に帰ってきた。

 それは50K近いロング走だ。『ランニングツアー』と位置づけていたことから、長い距離の割りには、精神的な開放感が十二分にあった。あるときは新橋から皇居の外堀一周を加えたり、正月には銀座商店街に入り、甘酒を振舞ってもらったりした。月に1、2度のロング走が贅沢に楽しめたものだ。

 自分の意識はそんな過去にしがみつく。反面で、きょうは往復できるのか、と目先の不安が心のなかに渦巻く。日没後の残照が多少の救いだったが、それも南葛西までは持たなかった。
 東京湾は夜景だった。三日月の月明かりの下で、男女一組が肩を寄せ合っていた。ロマンチックな情景だったけれど、すぐさま帰路に向かった。高架から漏れた明かりが懐中電灯代わり。洩れた明かりがないと真っ暗闇だ。

 東京には星明りなどもない。スピードを落として、慎重に闇のなかを感覚的な走り。このあたりは夜行登山の経験がものをいう。四ツ木橋の袂に戻ってきた。夜の慎重さが寄与したのか、足にも心肺にも余裕があった。

 中川の護岸道路には水銀灯が並ぶ。余裕を利用して、本奥戸橋と平和橋の一周3.5五キロをくわえた。フルマラソンの半分はこうしたゆっくりペースだと走れる。半分の自信はもてた。フルマラソンは三十キロからが勝負でもあり、市民ランナーには大きな壁だ。大会は出たとこ勝負になるだろう。少なくとも、完走はしたい。

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