A025-カメラマン

春の小さな散策・日本橋~浅草


 3月31日。なにかしら1年の区切りのような気持ちになる。

 わたしは格別、年度単位の仕事をしているわけではない。

 多くは月単位である。第2週と第4週は、小説、エッセイ、区民大学などを集中させている。

 昨日でひと区切りがついた。ちょっとほっとした開放的な気持ちから、小時、日本橋に出かけてみた。



 桜の花が満開だった。

 日本橋から足を延ばせば、千鳥ヶ淵は近い。きっと見事だろう。

 人混が想像できたので、日本橋の桜で満足しよう、と自分を説得させた。



 日本のど真ん中の、頭上には首都高速道路、眼下に流れるのは神田川、古から架かる日本橋がある。わずかな隙間には、満開の桜が顔見世をしていた。


 デパートで、写真展が開催されていた。カメラマンは長野県・松本深志高校の出身者で、天体の写真を得意としていた。

 このところ、わたしは取材で松本周辺にたびたび出むく。同校出身者にもよく出合う。そんな気持から立ち寄ってみた。

 これが写真とは驚きだ、という作品もあった。

 会場内の撮影は自由だった。カメラマンには敬意を称したい。

 


 写真だけで日本橋だとひと目でわかる。

 そんなスポットを探してみた。

 ここだろうな。



 日本橋界隈のデパートは、なにかしら展示会をやっている。

 次なるデパートに向かった。わたしはふだん絵画展など観たことはないし、むしろ苦手だ。

 それでも、好奇心で絵画展を覗いてみた。

 撮影禁止だった。フラッシュを焚けば、絵画を劣化させるからか。著作権か。ちょっと不満を覚えた。


 ほとんどの題名が懲(こ)りすぎで、どの漢和辞典の隅から探してきたのか、と思うものばかりだ。これが小説だと、題名が懲りすぎると、内容は大したことはないのが常だが?

 人物画はおしなべて、モデルが正面から突っ立って描かれていた。人物が面白くなかった。

「江戸時代の浮世絵の肢体を研究したら……」

 そんな気持で会場を出た。

 


 ヨーロッパの一都市と見まちがう光景があった。

 絵画展の不満が、この車との一瞬の出会いで解消した。

 帰路の途中下車となる、浅草に降りてみた。

 隅田川の日本堤、東京スカイツリー、桜が三重構造で撮れるかな。夕方の時間帯で、太陽光線の入り方が悪く、桜花の色合いがよくなかった。いきなり、目論見は諦めた。

 それというのも、最寄駅・京成立石駅と浅草駅とは一本の路線で10分もかからないし、いつでも来れると、執着心がないからだろう。
 


 桜には若者が似合う。

 なぜだろう。

 春に咲く桜花の明るさが、相似ているからだろう。


 浅草の桜見物は、江戸時代からの伝統だ。

 



 隅田川はかつて『大川』と呼ばれていた。


 桜が思い通りに撮れる条件ではない。だから、太陽光線を入れて、ごまかしてみた。



 女性が一眼レフのモードをしきりに調整していた。

 数多くのモードで撮影し、その中から選べばよいのに、と思ってしまった。

 最上級の1枚が一発勝負で撮れるわけではないし。デジタルならば、枚数はコストに影響しないのだから。


 少年たち3人がいた。浅草っ子なのか。
 
 それとも、友だち同士で、遠路、花見にやってきたのか。

 わたしは天明・天保時代を背景とした歴史小説を執筆している。

 主人公が飛騨高山から江戸表に出てきて、勘定奉行に施策のひとつを談判する。その場所はどこか。古文書はそこまで細かく伝えていない。
 そこで、勘定奉行と大川の屋形船に乗り、盃をかわしながら2人で密談する。そんな情景を考えてみた。


 現代の隅田川は、江戸の情感がみじんもなく、まったく参考にならないほど、近代的なビルが建ちならんでいる。屋形船もエンジンがついた観光船だ。船頭が櫓(ろ)を漕(こ)ぐ音など聞こえるはずがない。

 歴史小説はどこまでも作者の想像力で、もっともらしく描くしかない。むろん、当時の写真はない。

                               【了】

 

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