A025-カメラマン

穂高健一写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと』=8月19日(日)

 第8回『こまえ平和フェスタ2012』が8月19日(日)に、狛江エコルマホール(小田急線・狛江駅北口の小田急OX4階)で、午後1時30分から4時30分(開場12時30分)開催される。入場料(協賛金)は100円以上。タイトルは「戦争を忘れないで語り継ごう 子どもたちの未来のために」である。

 大震災から2度目の夏である。同フェスタにおいて、三陸で取材活動をする私に声がかかり、穂高健一写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと』が展示される。撮影場所は宮城県・閖上(ゆりあげ)、女川、気仙沼、気仙沼大島、岩手県・陸前高田、大船渡である。
 8/20~8/24は狛江市役所ロビーでもみられる。
 
 三陸の大津波は明治から何度も数万人の犠牲者を出してきた。三陸リアス海岸にすむ人々は、なぜ数十年ごとに大津波の危険がある、とわかっているのに浜辺に住むのか。それは長く疑問だった。

 3.11大津波のあと、私はこの疑問と向かい合おうと決めた。被災地の人がどのように心を傷つけられたのか、どのように生きていくのか。人間の心の中までは映像化できないし、それを克明に描けるのが唯一、小説だと私は考えているからだ。

 小説取材は昨年の秋口からはじめて真冬でも毎月、現地に足を運んでいる。5月は3度も出向いた。
 この間に、泣きながら話す人も男女を問わず数多くいた。
「父ちゃん、イカダから早く上がって来い、早く来い、と手招きしながら流されてしまった」
「父ちゃんとは父親ですか?」
「うちの亭主だよ」
 最初のころは表現の戸惑いもあった。

 死んだとは言わず、流されたという。ご遺体が陸上で発見されても流されたという。死に対する微妙な表現の奥底には、なにかしら解明すべきものがある、と私は思いはじめた。
 妻を亡くした、子どもを亡くした、心の痛みは抱えながらも、「小説書くならば」と多くの人たち、胸襟を開いて、心の傷を話してくれる。

 やがて、三陸の人たちには津波が来た海を憎んでいない、そうした風土があると気づいた。
「津波は悪いことばかりじゃないんだ。人間が汚した海底のヘドロを掃除してくれるから、3年くらいは良い漁獲になるんだ」
 漁師たちは津波と共存しているのだ。むろん、生命をかけながら。

 こうした取材はなおも続いているが、一方で、カメラのシャッターを切ってきた。数千枚にも及ぶ。
「写真の被写体から、被災者の声が聞き取れる。感じ取れる」
 そうした考え方の下で、17枚を絞り込んだ。それが展示される。
「写真では見えない、語りきれていない」
 そこは小説家として精いっぱい、90文字の枠で写真キャプション(説明)で濃密に記載している。

 この写真展を通して、「フクシマ原発問題の陰で、私たちを忘れないで」という大津波の被害者たちの声も伝えたい。

  

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