A025-カメラマン

ところざわの「ゆり園」で学ぶ、ミニ写真教室=人間は人間に感動する

 超プロをのぞけば、ゆりの花弁だけ撮影しても、図鑑になるわけでもなければ、他人に見せても、どこにでもある花の写真で感動してくれない。


 ゆりが咲く丘陵でとなれば、眼下には人が流れている。上から人物を狙えば、他人が見てくれる、よい写真が撮れるはず。ゆりの花だけとは勿体ない。


 カメラ教室の先生と生徒たちがやってくる。それぞれ講師が独自の指導方法をもっている。

 やさしく、わかりやすく教えてくれる。それが一番だろう。
 

 何を狙うのか、それを決める。 

 「ゆり園だから、ゆりだよ」果たしてそうかな?

 一つ所でも、三者三様に角度をちがえて、多少なりとも、独自性を出そうと努めている。


 被写体に合わせて、メニュー・モードをセットする。オート撮影が恥でもない。その方がうまく撮れれば、カメラの優れた機能に頼ればよい。

 なにも気取ることはない。写真の理屈などさして必要じゃない。

 観てくれる人が感動すれば、それが最高なのだから。

 カメラの構え方から、キャリアを推し測ることができる。両脇をしっかり引き締めて撮ろう。

 最近のカメラは手ブレ防止がついているが、スローシャッターで撮るときは脇を固めていないとぶれてしまう。

 花の横写真ばかりだと、いつしか単調になってくる。それを観させられても、
(こんな花の写真はどこにでもある)と口にしないまでも、飽きがすぐにくる。

 意識して、縦写真を撮ろう。

 シャッターを押したら、その都度チェックしよう。

 自宅に帰ってみれば、ぜんぶ黒っぽかった、とならないように。

 花弁だけ、ズームアップで撮るのではなく、背景に青空なども入れてみよう。


 野山や丘陵などはフットワークが大切だ。歩き回ろう。

 一眼レフをもつカメラマンで、「ニコン」「キャノン」とメーカーにこだわるひとが多い。本当に解っている人はどのくらいいるのだろうか。

 10台、15台/1人と所持して、使い勝手を試したひとは皆無に近い。あまり信じないほうがよい。

 のうがきを語る人の撮影技術力は、微妙に差異が出るほど達していないのだから。


 三脚をこんなに高くして、ファインダーをのぞけるのかな? 

 カメラは上向きだし、青空と雲を撮るならば、三脚をこうも高くする必要はないし?

 お花畑を撮ると、水平な構図ばかりになりやすい。だれがとっても同じスタイルになる。

 縦に何を入れるか。写真の立体感はつねに考えよう。 

 ゆりの花だけでなく、背景に人物を入れて、ぼかしてみよう。

 望遠レンズで接写すれば、背景はごく自然にぼけてくれる。

 昼間だけならば、三脚がなくても、十二分に撮影が可能だ。
 (風が強い日で、花弁が激しく揺れるときの接写は必要である)

 ライトアップまで粘るならば、三脚は持参しよう。

 光りと影は大切である。写真に変化をもたらせてくれる。光りを意識して撮ろう。

 小さな1輪の花にも心を向けよう。

 快晴で、この角度ならば、三脚を使わずに撮れるはず。

 三脚をセットすると、被写体に対して少しずれたり、斜め上下にカメラの位置を変えたりするのが却って不便である。デメリットもあることを認識しよう。


 太陽光線の強いところと、日陰と、その境目はむずかしい。シャッターを押すごとに、液晶画面で確認しよう。

 カメラを固定した撮影にこだわる人は、三脚よりも、一脚の方が軽くて持ち運びが楽だ。

 ゆり園だから、ゆりだけにこだわらない。大樹のツル花などにも心を向けた、被写体探しをしよう。

 土日などは混みあう。散策の人に邪魔にならない配慮をしよう。


  総合アドバイス

 人間が最も興味を持つのは人間である。
「人物を入れるだけで、それは世界に1枚しかない写真になる」


 「美しい花」だけが主役だと、感動は起きない。主役ひとりしか出演しない映画、芝居、観劇を見せられているようなものだ。
 単調な花写真は1~3枚ならば、義理で「きれいね、この花」と見てくれる。それ以上となると、品種や色彩が違っても、もうみなおなじユリに見えて飽きてしまう。心や脳裏に写し撮ろうとはしない。


 もう一度言おう。
人間を撮影しなさい。美しいものは脇役で良いのです」

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