A025-カメラマン

多摩川上流・新緑が萌える御岳渓谷を歩く=写真散策シリーズ

 5月の声を聞いたら、まず新緑の奥多摩が浮かぶ。毎年、このあたりの山岳に登っている。
 若葉とともに、色彩豊かな花が山野に豊富に咲く。
 汗を流しながらも、一方で目を楽しませてくれるからだ。

 同月1日は、登山具でなく、カメラを持って御岳渓谷(みたけ けいこく)に出かけてみた。あいにく朝から激しい雨だった。昼食すぎても、降りつづく。午後2時ごろから小雨に代わってきた。

 この間は人出などほとんどなく、人物を通した渓谷の紹介とはならず、全体に絵葉書のような写真になってしまった。



 御岳渓谷はV字型だ。山間は針葉樹の濃い緑、若葉の淡い緑が縞模様をなす。

 東京都内とはとても思えない風景だ。


 午後3時すぎて雨が上がると、渓谷に沿った遊歩道には、ハイカーの姿が現れはじめた。どこかで雨宿りをしていたのだろう。

 JR御岳駅から、隣の川井駅まで、多摩川の渓流沿っていくと、絵画のような風景に出合う。


 小石の多い河岸では、釣りする人が雨がっぱを着て釣竿を向けている。

 カップ、女性どうしも、わずかだけれど見かけた。

  
  御岳山の登山口まで、傘をさして歩いてみた。
  ハイカーたちはJR駅からケーブルカー駅まで、直通バスを利用する。
  歩く人はまずいない。

  この間は古橋が多く、長い年月を誇示するように、緑の苔が欄干にびっしり張り付いている。
  雨に濡れた苔の橋には、どこか目を奪われる。
  


 御岳渓谷はカヌーのメッカである。雨など関係なく、練習に励んでいた。
 メンバーの一人が、5月20日に関東選手権があると教えてくれた。
 

 20代女性のカヌーは、まさに被写体として申し分がない。

 激流に挑んでいる真剣な顔は美しい。

 「若さとは一途(いちず)に取り組む心なり」
 こんな格言を作ってみた。

 かつて「御岳万年橋」がこのV字渓谷にも架かっていた。小説「大菩薩峠」にも出てくる。

 現在は巨大なコンクリート橋である。

 奥多摩の人たちは花が大好きだ。狭い渓谷だから、宅地の面積はわずかである。

 それでも、ほとんどの民家が花壇を持ち、鮮やかな花を咲かせている。


 石畳みの路と、苔むす石垣をもった、古風な家にはどんな方が住んでいるのだろうか。

 路傍のタンポポにも、心を向けてみた。野草には強い生命力がある。


 多摩川沿いに戻ると、釣り人たちが岩場にいた。

 ある1人が30センチ近い大物をつり上げた。

 瞬間、カメラの望遠で写し撮ってみたが、私には川魚の名前がわからなかった。


 川井駅前の橋の上で、ふいに足を止めた。

「大正橋」のネーミングからしても、もう100年前の架橋なのだろうか。

 それにしても美しい。

 
 大正橋の由来が銘記された石碑である。

 かつて、多摩川にそそぐ沢には橋がなく、板や丸太を渡して、人が往来していた。
 江戸時代の後半には木製の橋が出きた。猿橋とおなじ工法の「肘木橋」だった。

 大正時代に人と物の往来が多くなり、ここに橋を造り、何度かの化粧直しが行われた、と記す。

 短編小説を書いてみたい、良い素材だな、と私は石碑の文面を丹念に読んでいた。


 大正橋と背中合わせで、超近代的な「おくたまおおはし」が架かっている。

 新設工事中の、開通前に渡らせてもらったことが懐かしい。

 多摩川上流でも、風光明媚なところ。橋からみた景色は一級品である。

 とはいっても、何度来ても、観光客など見かけない


 大雨の後は河川は危険だ。事故も多いし、登山者はまず近寄らない。

 先刻の釣り人たちが気になり、ふたたび足を向けてみた。

 川面には木橋がしっかり架かっているし、長期に流されていないようだ。

 「そうか。ここには小河内ダム(おごうちダム)があるんだ」
 
 竣工した当時は、水道専用貯水池として世界最大規模だった。

 増水すれば、サイレンが鳴り響くシステムになっているはずだ。

 5月は日没が6時すぎで、行動時間が多く取れる。

 夕暮れ前になると、ハイカーたちが帰路に向かっていた。
 

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