A025-カメラマン

初の「見る阿呆」で、豊島区・大塚に=写真集

徳島の有名な阿波踊りが、いつしか首都圏にやってきた。大塚駅前でも、8月26日夕方5時から開催された。
          


「えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々…」と唄われる。一度、観る阿呆になってみようと、出かけてみた。その理由の一つに、私には小学生の頃からの疑問があったからだ。

      


 父の従兄(故人・今治市)で、やたら祭好きの方がいた。阿波踊りのシーズンになると、決まって(蒲鉾の板細工)仕事を放り出し、徳島まで出かけていた。その細君が誰かまわず、ぼやいていた。子どもながらに、おばさん(細君)に理解を示していたものだ。          


 昭和30年代初めで、予讃線は単線の蒸気機関車時代で、片道が一日がかり。おじさんは何日間、徳島に出むいていたのか。それは今となればわからない。

「阿波踊りって、そんなに夢中にさせるものか? あのおじさんは特別人間なのか?」結論がないまま、その疑問が約半世紀も脳裏の片隅に残っていた。
             

 観る阿呆だけでも、からだが浮き上がってくる。三味線、鉦、太鼓、横笛の軽快なリズム。それに彩のよい踊り手の着物姿には魅了された。

       

 汗を流し、心身ともに、踊りに没頭する。何もかも忘れて踊る。私も「一度、踊ってみたい」という気持ちにさせられた。

   

 阿波踊りは400年の伝統だと言う。幕末には関西で米不足から起きた、「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」という世直し運動が打ち壊しにつながり、一気に全国に広がった。江戸幕府崩壊の要因の一つにもなった。

          


 阿波踊りは各地に広がっているが、この先、何と結びつくのだろうか。単なる町おこしだけで終わるのだろうか。妙な危惧に似た思慮が、脳裏の片隅に浮かんできた。杞憂で終わればよいが……。

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