A025-カメラマン

成田山・新勝寺を造った匠たちを想う=写真集

 江戸時代、室町時代、鎌倉時代などの古い社寺仏閣を観るのが好きだ。宗教的な関心ではない。むしろ信仰心はなく、さい銭を投げ込まず、芸術品として、古刹の建造物や彫刻などを鑑賞させてもらっている。
 現存する古刹のほとんどは、芸術的なものであり、手腕は見るほどに奥行きがあり、感銘を受ける。と同時に、遠い歴史が偲ばれる。


 建築に携わった頭領や大工の名は残っていない。名も知れない人たちが遺した、芸術品的な作品だが、数百年、千数百年後にも、多くの人に観てもらえているのだ。
       

 人間はいちど死ねば、ふたたび生まれ変われない。自分が遺した業績の確認はできない。材木を運んだ樵(きこり)、石を積み上げた石匠、柱や梁を作った大工、そして彫刻師などはみな霧消としている。遺骨すら、すでに水となり、地球上から消えているはずだ。それでも、自分が手がけた建造物が、永い歳月を経ても、多くの人に観てもらえる。それは匠として冥利だろう。

 5月18日に成田に行った。門前町の昨今はPJニュースに書いた。成田さん・新勝寺の写真はあえて外しておいた。

 最近は知人の写真展やブログで、社寺関連の写真を見る機会が多い。ずいぶん参考にもなり、勉強にもなる。今回は新勝寺で、腕試しのつもりで、シャッターを押してみた。それらを写真をここで紹介したい。写真の匠に、少しでも近づきたい、と。

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