A045-かつしかPPクラブ

「尾張名古屋は、城で持つ」 浦沢 誠 ・ 田代真智子

 かつしかPPクラブの恒例の年に一度の取材旅行は、名古屋だった。

 
 2019年(令和元年)9月29日(日)、東京駅の14番線ホームから東海道新幹線(のぞみ209号(午前8時20分発)の自由席で、名古屋に向けて4人で出発した。今回は一泊2日である。出発時は曇天だった。

「途中で、富士山が見えたらいいね」などと話をしていると、進行方向右側の車窓に、本当に富士山が見えた。

 今回の計画は、会員の田代さんが立案計画の役で、当初は飛騨高山に行き、帰路は高速バスの予定だった。だが、宿泊場所が確保できず、名古屋取材に変更した。
 新幹線が名古屋に近づくにしたがって青空が広がり、到着すると、さわやかな秋晴れとなっていた。さすが、穂高先生の晴れ男がここで立証された。

 名古屋市内の移動手段は、田代さんお勧めの地下鉄24時間券(740円)だった。まず初めに、駅ビル内の食堂で早めの昼食を摂り、地下鉄で「名古屋市博物館」に向かった。


当博物館では、常設展展示「尾張の歴史」のほかに、特別展「治水・震災・伊勢湾台風」を観た。博物館から先生の誘いで、日中の最高気温は31℃の予報のなか、片側2車線の道路の向かい側にある古本屋2軒に30分ほど立ち寄った。

 その後、博物館側にある、『かき氷』の看板が出ているお店「ヴェール・テーム」に入り、乾ききった喉を潤した。

 店員の話によると「このかき氷専門店は有名で、2~3日前まで、入店待ちの長い行列が連日できていた」と語ってくれた。

 その後、地下鉄を乗り換え、「名古屋港」に向かった。地下鉄・名港線の終点の名古屋港で下車し、取材班は港の方に歩いてゆく。南極観測船の「ふじ」の姿が目に入った。

 埠頭に繫留(けいりゅう)されていた。ここでふじに会えたのは意外だった。船体の脇をしばらく歩いてゆくと、日中は入場料を支払い、船内見学ができると分かった。夕暮れ時(午後5時過ぎ)であり、それは叶わなかった。

 ふじが繫留されている埠頭や、水族館(ウミガメのこどもを飼育していた)一部など取材したうえで、埠頭の反対側にあるショッピングセンターの2階にあるレストラン(お店の名前はRED LOBSTER)に入り、窓越しに埠頭の光景が眺められる。

 港の夜景を眺めながら、小腹を軽く満たした。

 地下鉄で宿泊場所の栄町まで帰り、ホテルに荷物を置くと、すぐさま一日目の最終取材として、繁華街の夜の街に出た。雰囲気は雑然としている。ホテル近くの居酒屋で、一日目の取材の区切りとして晩餐会とした。
 名古屋名物の「味噌カツ」その他の料理を摂った。期待通りだった。

 翌朝は8時にホテル1階のロビーに集合し、レストランで朝食を摂り、9時30分過ぎにはホテルを出発し、地下鉄で熱田神宮に向かった。
 地下鉄名城線の伝馬町駅で下車した。晴天の大通り沿いを5分ほど歩き、東門の大鳥居をくぐる。木陰で小気味よい、砂利敷きの参道をゆっくりと直進した。

 途中の「手水舎」の脇の献酒場所わきに在る、樹齢1千年以上の書き込み看板のある「大楠」は、この神社の歴史の重みが感じられた。

 参道脇では、「神宮と歴史でたどる熱田神宮千九百年の歴史」のパネル展示が開催されていた。それによると「大正期に勅祭社(ちょくさいしゃ)になった」と記されている。木造の本宮はじめ各建物はすべて「白木造り」だった。宝物殿にも立ち寄った。

 熱田神宮の参拝(取材)のあと、名古屋城へと向かった。地下鉄名城線に乗車し、市役所駅で下車した。
 地上に出た瞬間、目の前に名古屋市役所の建物があり、そのすぐわきには愛知県庁舎の建物もあった。いずれも昭和初期の建築だった。

 これも取材だと、昼食は名古屋市役所の食堂でとることにきめた。豪華な価値ある建物で、感動した。ロケなどに使用されていると聞く。同市庁舎4階の奥に食堂はあった。

 午後1時過ぎで、食堂内は閑散としていた。官吏の方は12-13時ぴったりの昼食だろう。
取材班4人は、好みの食券を購入し、中庭に面した窓側のテーブルに座り配膳を待った。
 1時間ほど昼食兼休憩としたあと、重厚な庁舎内を取材してから、隣接する愛知県庁舎の外観も写真撮影してから、道路の対角線上にある名古屋城に向かった。

 城の外堀を通り抜け、東門から入場した。天守閣に通じる通路に面した、平成30年に竣工した本丸御殿(木造総檜木造り)の一般公開の建物を取材した。

 徳川御三家の筆頭尾張藩の居城である。上洛殿(復元)・湯殿書院(復元)・黒木書院(復元)は荘厳だった。

 天守閣は、次期木造への復元の設計・調査や耐震不適格のために入場禁止となっていた。

 城内の出口付近の目立たない木陰には、「名古屋城青松葉事件之遺跡」碑があった。幕末から新政府が誕生したあと、尾張は德川御三家だけに、新政府につくか、旧德川幕府に忠誠するか、と激しい対立があった。
 歴史の一つの史実として、興味深いものがある。

 名古屋城の取材のあと、一行は名古屋駅にむかつた。新幹線口側の駅前ビル内で夕食を済まし、午後6時30頃の東海道新幹線で東京に戻った。
 2日間の取材は、得るものが多かった。
 これから、個々に、編集作業に入る。

             文  浦沢誠
             写真 田代真智子 浦沢誠
  

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