A045-かつしかPPクラブ

日本刺繍画に広がる世界  田代 真智子

『まえがき』

 葛飾シンフォニーヒルズの2階のギャラリーで初めて作品を見て、これが刺繍(ししゅう)?なんて細かい作業なんだろう。
 一体どんな人がこの作品を生みだしたのだろうと思いました。その作者は、私が通る道筋にある美容院とブティックを経営する女性でした。

 何年か前にお店で洋服を買った時、「私が作ったものだけど良かったら使って」と首飾りのヘッドをいただき、親しみを感じたあの女性がここに紹介する日本刺繍画の作者だったのです。


      菅縫ぼたん(すがぬいぼたん)

 京成四ツ木の駅から渋江商店街を抜けた信号を通り過ぎると、右に美容院とブティックがある。

 ここは、日本刺繍画作家『平野恵美子』さんの仕事場兼作品制作のアトリエでもある。平野さんは、岩手県出身で嫁いでこの地、葛飾に住み、現在に至っている。


 女学生の頃から、針を持つのが好きだったという平野さんに日本刺繍を始めたきっかけを訊ねてみた。

 姉の嫁ぎ先が、立川で「紳士・婦人服の仕立て屋」を営んでおりましたから、毎年、休みになると岩手から東京に来て縫子さんに裁縫を教わったりして、洋裁などの勉強をしていました。高校を出て若い時に美容師の資格を取り、着付けの仕事をしていく中で、着物の刺繍に目がいくようになりましたと話す。

 1985年、子どものPTA役員を終え、日本刺繍教室『紅会』に入学し、本格的に日本刺繍の勉強を始めた。

 虎ノ門にあった『紅会』には、月2回15年通った。その後、東京、大阪、名古屋など、各地の展示会に出品し、個展も開催。2005年には『日本芸術学院』でデッサンを学んだ。

 デッサン? と疑問を感じたが、重要な過程と分かった。

 刺繍の制作工程は、図案を決める事が最初にあるが、写真を撮って実際に描きたい大きさに引き伸ばし、それを書き写して刺繍をしていく。当然、絵を描く技術も必要になるのだろう。

     「風車」


             「アネモネ」

 作品は、様々なジャンルで、着物、帯、額に至る。飾りものやコンパクトやキーホルダーなど、注文で作成することもよくあると話される。


            「宙を舞う花」

           「木枯」(こがらし) 

 気に入った作品でも欲しい人がいると譲り、手元に残っていないものもたくさんあるようだ。

 刺繍にしたいと思う絵に出会うと、その画家に刺繍にして良いか了解を得る。そして例えば、色や葉の数、角度等を変え、平野さんの作品にしていく。

 展示会出品の大作完成後は、指を休めるのではなく、休めてはもったいないとキーホルダーのような小さいものを刺すというから驚きだ。

 餅つきの刺繍は、どこかで見たような?数年前に宝くじの図案を描いた画家の作品が元だという。
 そんな絵のカレンダーが店の壁に貼られていた。

              「餅つき」

 瀬川明甫作品集「思い出のふる里」より


 平野さんは、2008年から東京岩手美術会運営委員として活躍し、 現在は、毎年『東京岩手美術展』 に出品している。


   「孔雀」
 
      伊藤若冲の作品から

 『根津・虹の会展』『リアスの風復興展』『東京・銀座大黒屋3人展』『東京・第一美術会展』他にも『東京・NHKふれあいギャラリー』などに出品している。

 7月には、葛飾シンフォニーヒルズで「アート自由六人+3」が控えており、今は、9月に開催する『東京・岩手美術会』の展示会の制作に入っている。


「藤娘」を製作中

 好きな日本刺繍と向き合って作品の一つひとつについて語ってくれた平野さんの瞳は、輝いていた。

 
        「ピエロ」 瀬川明甫作品集から


『あとがき』

 手元を離れてしまった作品が多くあるなかで、今までの作品は、記録として写真に収められていました。
 そのアルバムの写真を見せてもらい、エピソードを交え、お話を聞くことができました。その作風の幅の広さと数にびっくりしました。
 美容院とブティックを経営しながら、これだけの数多くの『日本刺繍画』の制作をする時間は、いったいどこにあるのでしょう。

 多くの作品を残した 画家『ゴッホ』や『モネ』、音楽家『モーツアルト』、浮世絵師『葛飾北斎』などの思い、ああ、これが芸術家なんだと感じました。

 今後、どのような作品ができあがるのか、今から楽しみです。

          取材・撮影  2019年(令和元年)5月18・19日

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