わがまちの 手彫り印鑑 (上) 郡 山 利 行
葛飾在住の井上さんによる、手彫り印鑑の、文字の仕上げ彫刻作業。撮影:平成30年1月21日
【1.はじめに】
「 朱色ってなにかなァ 」
「 それは印鑑に決まっているでしょう。 朱肉の世界にもつながるでしょう」
「 印鑑もいろいろあるけどなァ 」
「 本物の朱肉は、きちんと使うのがとてもむずかしかった」
このような会話が、筆者夫婦の間ではずんだ。
こんかい冊子テーマの≪朱≫についての、始まりである。
そして、手彫り印鑑を作っている井上さん(葛飾、金町在住)に取材して、印鑑作りの果てしない奥の深さを、紹介してもらった。
【2.井上さんの仕事】
井上隆夫さんは、昭和21年生まれの71歳で、この道55年、印鑑手作り一筋の人生である。
葛飾区金町4丁目の地に、平成3年に店を構えてから27年になる。
自宅は手彫り印鑑の作業場でもある。 お店の間口いっぱいに置かれた植木鉢の花樹が、花を咲かせていた。
写真撮影:平成30年1月24日
井上さんの印鑑作りは、昭和37(1962)年から、墨田区業平(なりひら)の、「中島印房」という印章店での修業から始まった。
その店で29年間務めたあとに、現在の地で開業した。
「 中島印房の店の造りを、そっくりそのまま、この金町に新しく作り独立しましたよ 」
と、井上さんは、当時への思いを込めて、語った。
店の前が車道で気が散りませんかと、筆者が問いかけたところ、「 業平の店も、目の前が都電が走る道路でしたので、まったく気になりません。 しかもここは、交差点の停止線の横なので、運転手で気にする人がいて、時折店に立寄ってくれます 」
と、地の利を楽しそうに語ってくれた。
印鑑作りを習得するのに、最もむずかしかったことは、何ですかと筆者の質問にたいして、井上さんは「 簡単にできたことは何ひとつありません。どんな単純な作業でも、一般の人には絶対にできないのが、この仕事の特徴です 」 と、さらりと答えた。
井上さんが手彫りする印鑑の材料は、右・写真の左から、ツゲ、水牛(黒)、水牛(白)、象牙の4種類である。
材料は直径15mmの標準的な実印である。
金町の店を構えてから27年間で、およそ8000本の手彫り印鑑を作った。その記録が、≪御印影≫である。(上写真)
「 得意とする製品の型がありますか 」
筆者の問いに、井上さんは少し考えてから、
「 注文される品物が、広く浅い世界なので、こだわりはありません。自分の腕の範囲内で、精一杯です」
と、答えた。
更に、「 近頃、産業ロボットが高性能になったので、人の手で彫るのが必要なくなりつつあるような気がします」
と、ぽつりと語った。
印鑑の材質、字体、大きさ、仕事の流れなどによって、使い分けられる彫刻刀である。
「 刃先の材料は既製品で、専門店で売っていますが、それをすべて自分流に研ぎ変えます。刃先以外の柄は、すべて手作りです」
印鑑は身分を証明する大切なもの。世のなかには、命の次に大切だと認識する方も多い。
井上さんは、手彫り印鑑の作業手順(ノウハウ)にも取材に応じてくれた。
【つづく】