A045-かつしかPPクラブ

【講演・案内】 隠された幕末史 = 葛飾区立立石図書館 1月28日(日)

 穂高健一による『隠された幕末史』を講演する。

 日時: 2018年1月28日 14:00~16:00 2時間

 場所: 葛飾区立図書館・研修会(2階) 無料
 
 メインタイトル「隠された幕末史」

主内容として:
 明治維新から150年、大政奉還、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争の知られざる歴史の舞台裏を語る。


 私たちが現在一般に知り得ている幕末史は、焚書のうえ、ねつ造されたものである。

 ここら焚書は学者、歴史作家らは知らないか、知っていても、伏せているのか。これが一段と明白になれば、わが国の幕末史が通説と大逆転するし、「薩長倒幕」など死語になる可能性がある。広辞林からも消える。

 この講演で、それを赤裸々に明かす。

 通説に固まった歴史家にとっては、あまりにも恐ろしいことだろう。論文で綴った学術書、歴史小説などは『根拠も裏付けもなく、知ったかぶりして、嘘ばっかり書いて』と一律に不評を買ってしまうだろうから。


 幕末史のねつ造は、「国民を皆兵」にして、戦争国家へ導く作為につながった。だれがそんな悪質な焚書の工作をしたのか。講演では、犯人探しも試みる。

 
 明治政府のスタートは薩長土肥だった。薩長閥の政治家が中心だった。ただ、薩摩島津(鹿児島)、長州毛利(山口)の体質は根本でちがう。ここらは一律にできない。


 明治の三傑だった西郷隆盛が西南戦争が起きたとき自決して死んだ。同年には長州藩の木戸孝允が病死した。翌11年には大久保利通が東京・紀尾井町で暗殺された。
 一時期の創設者たちが、時おなじくして消えたのだ。


 その後、約10年間にわたり、薩長閥の力の均衡が崩れ、薩摩(鹿児島)は落ちていく。シーソーゲームと同じで、こんどは下級藩士だった長州(山口)閥の政治家たちが伸してきた。かれらは産業界と見苦しくも癒着し、金の力で政府を支配下におき、ほほ独壇場になる。


 伊藤博文による明治22年の憲法発布がおこなわれた。

 さかのぼれば、幕末の長州藩は朝敵だった。小御所会議の段階で、京都には品川弥太郎がひとり毛利藩藩士として情報収集で潜伏していた。たった一人で、逆立ちしても倒幕など言わない。長州藩は倒幕にまったく役立ってはいないのだ。
 
 伊藤博文は極貧農に生まれ育った。井上馨は下級藩士、山縣有朋は中間(ちゅうげん、武家に奉公する小者)の子ども、寺内正毅 は貧しい藩士、田中儀一は駕籠(かご)かきの息子、三浦伍楼は武士の奉公人の又家来(またけらい)の出である。
 かれらは下級藩士というよりも、藩士以下の身分だった。


 身分が極度に低いもの、学歴のなかったものが、最も高い政治支配の地位に就くと、どうなるか。過去を誇大視し、わが身を英雄視し、偉そうに語りたがるものだ。傲慢(ごうまん)な人間ほど、悲しいかな、そうなってしまう。
 極貧の出の豊臣秀吉は天下を取ると、自分をより大きくみせるために、あえて朝鮮侵略をやってみせた。それとまったくおなじである。

 戦争とは自己誇示の最大の道具なのだ。

 長州は、朝敵で挙兵の旗も挙げられなかった。それにも関わらず、自分たちを大きく見せるために、嘘はいくらでも平気でつく。
「長州藩は徳川を倒しただの、徳川よりも優れていたんだぞ、江戸幕府は劣悪な政治だったから、われらは倒す必要があっただの」とウソをでっち上げたのだ。

 金と権力をもった長州閥の政治家は、「この辻褄(つじつま)に合わない、大名・家老、公卿たちの不都合な日記は全部消せ、この世から消してしまえ」と焚書を一気にやったのだろう。


 長州閥を中心とした明治政府は、わが国、つまり政治家の自分自身を大きくみせるために、世界に君臨する日本国をつくる、軍事大国の欧米に肩を並べてみせる、と豪語した。
 
 そのためにも、歴史をねつ造し、かつての異人を討つ攘夷思想は正しい、国民皆兵は正義だ、聖戦だと教科書で教え込んだ。

 小学生の歴史教科書は明治時代の当初、自由発行で、開明主義の教育だった。外国の知識を広めさせていた。
 ところが、長州閥が政府の中枢に座ると、急激な変化が起きた。

 明治23(1891)年から、歴史教科書が検定制度になった。外国史教育は廃止され、小学校では日本歴史のみと決定された。そして、日本史上の「偉大な」「英雄」人物と重要な事件をとりあげていくものに変わったのだ。
 それは戦争史観から選択された人物たちだった。
 1904(明治37)年には「国定制」へと、一歩ずつ国家統制が強められた。


 ナチスドイツは焚書から、ユダヤ弾圧で思想を統一し、侵略戦争へと進んでいった。日本は聖戦で思想統一した。


『三つ子の魂百まで』、教科書は正しいと思う。教職員、神職、僧侶までも、鉄砲をかついで人を殺しにいく。日清戦争、日露戦争、第一世界大戦、日中戦争、太平洋戦争、といちずに太平洋戦争へと導かれていった。
 聖戦の結果が、祖国の廃墟か、となった。

 戦争の予兆はいきなり鉄砲ではなく、保管すべき公文書の偽造、焚書から芽が出てくるものだ。

『公人による焚書は戦争の原点になる』これは格言として知っておくべきだろう。

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