A045-かつしかPPクラブ

刀鍛冶 吉原義一 = 浦沢誠

まえがき
   
 葛飾区教育委員会事務局と郷土と天文の博物館が主催する「文化講座」区指定無形文化財保持者の刀鍛冶の吉原義一(よしかず)さんの講演会を取材した。
 入場者数は100名。


   日本刀は義一さん作製の名品で、講演会当日の講演後には作製工具とともに会場内で展示したもの。


 生い立ち

  1967年(昭和42)3月29日葛飾区高砂8丁目で刀鍛冶吉原義人(よしんど)の子として生まれる。現在46才。吉原家としては、4代目にあたる。
 初代は国家(くにいえ)で、月島で包丁や鋏を作っていたが、そのうち刃物の世界で有名になり、日本刀の世界、刀鍛冶屋の世界に入って行った。
 大正時代に月島が津波で浸水した。その後は葛飾区に移り住んで現在に至っている。
 第二次大戦直後にはGHQから日本刀の製作が禁止された。その後、昭和30年ごろから刀鍛冶を再開した。当時は父義人(よしんど)で、3代目はまだ12才だった。
  

    講演会場で、製作した日本刀の説明をする吉原さん


  日本刀の歴史

 平安時代の中・後期に始まる。話として子狐丸(こぎつねまる)と呼ばれる三条宗近の刀が有名である。
 当時の伊勢神宮に奉納されている刀は60振りあり、全て直刀である。聖徳太子も直刀を使用していた。その時代は、直刀から湾刀に移った。

 戦国時代には、鉄砲が入ってきた。騎馬戦などの時は、短くて邪魔にならないように作った。江戸時代には、竹刀みたいな反りの少ない日本刀が出来た。

 日本刀から生まれた言葉として、鍔(つば)迫り合い、目抜き通り、反りが合わない、元の鞘(さや)に収まるなどがある。


    講演会場に展示された玉鋼(たまはがね):1辺が約10cm

 日本刀として登録されているものが200万本以上ある。実際の戦闘は、鉄砲が輸入される以前は弓矢が活躍し、日本刀は最後に自分を守る手段として使用された。また、天皇家では子どもが生まれると、身を守るものとして刀を与えた。

 日本刀の材料は、たたら製鉄として作製した玉鋼(たまはがね)を用いた。玉鋼は、砂鉄を粘土で作った炉と炭を用いて鞴(ふいご)でつくる。不純物(りんや硫黄)が少ない鉄である。

 日本美術刀剣保存協会が島根県奥出雲町で製作している。年3回作製する。1回の作業が3昼夜を砂鉄10トンと木炭12トンを炉に入れて溶かし、2.5トンの「けら」として鋼(はがね)のかたまりをつくる。その「けら」には等級があり、その中で1級A,Bと2級A、Bが日本刀の原料として使用される。

 近代に入り日本刀に2回危機が訪れた。
 まず初めに明治時代の「廃刀令」。次は太平洋戦争後の、GHQの政策で、日本刀の製作禁止および処分であった。

 その後、昭和28年には日本刀の製作が許可された。その頃はまだ玉鋼は再会されていない。当時は、古民家の解体ででた金物(釘やかすがい等)を利用して刀を製作した。

 NHKのプロジェクトXによると、昭和52年日立金属の協力により、新作刀を守る会を作った。また、「靖国たたら」で戦中の軍刀を作っていた経緯がある。

   製作方法

 日本刀の製作手順は、次の工程を経て行われる

 玉鋼のつぶし → 焼き入れ → 小割 → わかし → 藁灰と粘土掛 → 2つ折り
造り込み → (芯鉄入れ) → 火造り → 棟の鑢がけ → 砥石掛け → 刃文造り
 → 焼き入れ → 完成

  『道具の種類

        大 槌

        小 槌


       は し


  吉原家の日本刀



         切先部および刃文

  毎年、公益財団法人日本美術刀剣保存協会」主催のコンクールに出品し腕を磨いています。その作刀部門で吉原さんは「無鑑査」の賞を受賞している。全国で17名、その内東京都内に4名がいる。その全員が葛飾区内在住である。
 また、葛飾区指定無形文化財保持者です。
 今までに特別賞として、「高松宮賞」3回受賞、「文化庁長官賞」3回受賞し、そのほかの賞を含めて10回受賞している。
 刃文は「蛙子(かわずこ)丁字(ちょうじ)」のデザインがオリジナルとの話です。
 伊勢神宮にも刀を奉納している。


   太刀銘 : 東都高砂住義一作之

      

   蛙子丁字の刃紋


  あとがき 

 日本刀つくりは伝統産業には属さない。しかし、聖徳太子の昔から造られてきたもの。     
 葛飾区の農業・伝統産業展には出店していない。

 11月の中旬には、アメリカ映画社の20世紀フォックスが吉原家に取材に来訪する。日本の伝統工芸の今後の進むべき道を、外国に発信している。頑張れ日本刀。


【関連情報】
  講演会は2013年11月4日(月・祝)に実施されました。
  日本刀と葛飾の関わりを知ってもらうために、冊子からウェブ掲載しました。

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