A045-かつしかPPクラブ

クイーン・エリザベス号 まず鹿児島寄港=郡山利行

2010年に就航した、イギリス船籍の、世界に名を知られた豪華客船「クイーン・エリザベス号」が、2014年3月15日午前7時、鹿児島市のマリンポートかごしまに着岸した。

 同船は、イギリスの海運会社、キュナード社が運行する、大型客船である。同名船の第3代であり、総トン数90,400トン、全長294mで、乗員乗客計約3000人を乗せて、パプアニューギニアから航海してきた。今年2014年1月10日に、イギリスのサウサンプトンを出港して、5月9日までの120日間で、地球を西回りする、世界一周クルーズの途中である。

 そして同船は、1940年に登場した初代のクイーン・エリザベス号以来、初めての日本訪問である。

 キュナード社による、当初の運行計画では、日本での最初の寄港地は、高知だった。
(オセアニア・東アジア地区の運行予定図、参照。)それが、昨年(2013年)10月初旬、突然変更になり、鹿児島になったという。

 私は、故郷が鹿児島県であり、更に、亡くなった父が、世界一周航路の貨物船の船長だったこともあって、クイーン・エリザベスが、真っ先に鹿児島にやって来ることが、歓喜だった。そこで、最初の寄港地が、なぜ高知から鹿児島に変わったのか、興味を抱いた。

 まず、オーストラリアから横浜までの、クルーズ・ツアーを企画していた、日本のRTSクルーズデスク社に、電話で問い合わせた。そこでは、「 理由は全くわかりません。 昨年(2013年)10月初旬に、キュナード社を傘下にしているアメリカの船会社カーニバル・コーポレーション社から、寄港地を鹿児島に変更するとだけの通達があっただけです。」とのことだった。
 そして、「 高知か鹿児島の港湾事務所に聞けば、わかるかもしれませんね 」と、教えてくれた。

 高知県土木部港湾振興課でも、上記のRTSクルーズデスク社と同じように、10月初旬に通達を受けただけだったという。 高知港では、超大型客船用に、岸壁拡張工事中で、まだエリザベス級の船は接岸できず、完成時期は未定とのことだった。
「 高知港は、太平洋から全く障害なしに、いきなり入港できる最高の条件なんです。これからの港です 」と、誇らしげに語ってくれた。 

 当初の運行計画を立てたキュナード社が、この接岸できないことを知らなかったとは、今日の情報化の時代では、とても信じ難い。鹿児島県土木部港湾空港課では、「 昨年(2013年)の10月の初め頃にですね、アメリカの船会社(カーニバル・コーポレーション)の鹿児島市内にある代理店から、今年(2014年)3月15日の、港湾施設使用の許可申請があり、許可しただけですので、背景については全くわかりません 」とのことだった。
 その代理店に聞いても、おそらく、『通達に従って、許可を取っただけです』と言われることが予測できたので、ここで追跡はあきらめた。


 なぜ、『クイーン・エリザベス』というイギリス女王の名の船は、初めてニッポンという国を訪れるのに、真っ先に立ち寄る港を、鹿児島にしたのか。

 私は考えた。
 今から151年前、文久3年、1863年の8月に、イギリスと薩摩藩は、その前年の生麦事件に結着をつけるべく、この鹿児島港のあたりで、海上と陸上から大砲を撃ち合った。薩英戦争である。
 当時の鹿児島城下はほとんど焼失して、物的損害が甚大だったが、イギリス艦隊も損害・死傷者(63人)があり、軍艦からの砲撃をやめて、戦闘を中止した。

 この戦争で、薩摩藩側は、欧米文明と軍事力の優秀さを身をもって再認識し、イギリス側は、その後の講和交渉を通じて、薩摩を高く評価するようになり、関係を深めていくことになった。 2年後の1865年には、パークス公使が薩摩を訪問し、その時の通訳官アーネスト・サトウは、その後数多くの薩摩藩士と個人的な関係を築き、イギリスと薩摩藩は、友好関係を深めていった。 鹿児島は、歴史的に記念すべき場所なのである。

 その時代のイギリスは、大英帝国として世界の海に君臨した、海運国だった。 軍艦以外の貨客船では、キュナード社とP&O社の2社が、国を代表する海運業者だった。今回、キュナード社は、日本訪問の半年前に、突然と云われてもしかたがないような行動で、鹿児島に変更した。
 最初から高知は、仮の港だったのかもしれない。というのは、今回の日本国内クルーズの寄港地は、すべて、幕末維新の時に、イギリスが大活躍した舞台だからである。


 鹿児島→横浜→神戸→長崎という寄港順序で、イギリスの海運に携わっている人達の、日本という国への思いが伝わってくるような気がする。
 横浜と神戸の港は、現在の日本を代表する巨大な港だが、開港に至るまでの歴史では、イギリスは主役ではない。
 ところが長崎は、オランダを押しのけて、その時代に必要とされた全ての物資の貿易を、公認・未公認の区別なく取り扱った、中心的な大舞台である。

 キュナード社は、クイーン・エリザベスを主人公に見立てて、実は150~160年前の会社の先輩たちを、偲んだのだろうか。

 2014年3月15日午後6時過ぎ頃、鹿児島の錦江湾に浮かぶ桜島と共に、夕日に染まりつつ、鹿児島港を出港していく、「クイーン・エリザベス号」の写真を見ながら、そんなことを考えた。


 写真の引用 : 上段から

クイーン・エリザベス号 Yahoo!ブログ画像(かごそら)
航路地図 キュナード社図(部分)
薩英戦争 Wikipedhia(薩英戦争) 
クイーン・エリザベス号 Yahoo!検索画像(鹿児島出港)
横浜港 郡山利行

                      写真・文責=郡山利行
                                                  「了」

「かつしかPPクラブ」トップへ戻る