A045-かつしかPPクラブ

東日本大震災・2人の友人③=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生として、叙述文にも力を入れています。
          
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作者HP
  


東日本大震災・2人の友人③  斉藤永江

 名取市と南相馬市に住む、2人の友人の無事がわかって深く安堵した。他方で被災地のために何かしなければ、何かしたいという焦りにも似た思いが常にあった。

 平成7年1月17日に起きた阪神淡路大震災の時には、長女が7才、長男が1才になったばかりだった。現地におもむくボランティアの人たちの映像を見ながら、私に同じ気持ちはあっても、実際には動くことのできない無力な自分がはがゆかった。

 しかし、今は違う。長女は社会人となり、長男も大学生になった。母親がいなくても大丈夫だろう。
 私は3.11の被災地に行くことばかりを考えていた。それでも、仕事の日程やライフワークとしている傾聴ボランティアの活動日を照らし合わせると、長期に渡る瓦礫(がれき)処理の手伝いや炊き出しに行くことは容易ではなかった。

 私はネットで自分が参加可能なボランティア団体をくまなく探し始めた。4年前から参加しているSNS(ソーシャルネットサービス)の中でも、想いを同じにする同年代の仲間たちが『東北震災支援ボランティアの会』を立ち上げていた。

 代表は同い年のG君だった。彼とは面識があり、飲み会やイベントの席で何度か話しをしたことがあった。大柄で恰幅(かっぷく)がよく堂々としていて、いつも会の中心にいた。代表者欄に彼の名前を見つけたとき、「やっぱり・・彼らしいな」と私はつぶやいた。

 私はすぐに入会を決めた。震災から1ヶ月が過ぎようとしていた。
「こんにちは、G君。いてもたってもいられなくって・・私にできることをしたい。仲間に入れてください」
 携帯にメールを送るとすぐに返事がきた。驚いたことに、被災地の大船渡に向かう途中の車内からだった。
『信じられない光景です。皆さんのお力をお借りしたい』
 そのメールには、無残にもくずれ落ちた鳥居の写真が添付されていた。

 テレビなどで見ている悲惨な画像にもショックを受けたが、いま実際に被災地に向かっている人が間近にいたことに、感動するよりも何故だか強いショックを受けた。
「これ、被災地からなんだ」
 私はしばし呆然と携帯画面を見つめていた。

 これからボランティアを初めようと行動を起こしたばかりの私と、今まさに現地に向かっているG君。自分のスタートダッシュの遅さが恥ずかしかった。そしてG君の行動力の素早さと大きさに、素直にすごいなと思えた。彼について行けば間違いないな、と私は確信した。

 その会には全国から思いを同じにした70人ほどが登録していた。物資を提供する者、受け取りや仕分け作業に参加する者、実際に現地に物資を運ぶ者、と役割はそれぞれだった。

 G君の住まいは横浜市川和町にあり、支援物資が近くの空き地に集められた。私の家からは、JRと市営地 下鉄を乗り継いで2時間近くかかる。遠かったが手伝いができる喜びから幾度となく通った。

 仕分け作業をしていて驚いたのは、まるで家庭ゴミをそのまま持ち込みましたと言わんばかりの、お菓子の食べ残しや、汚れた洋服が混ざっていたことだ。賞味期限が過ぎた缶詰や調味料も少なくなかった。
 そうかと思えば、真新しい洋服が、性別ごとサイズごとに分けられ、ひと目でわかるように表示された袋に入れられていて感心するものもあった。

 支援物資の一つ一つに、送ってくれた人の背景が見えるようで興味深かった。
「送れないものは処分するからゴミ袋に入れてください」
 G君は容赦なく言った。
「洋品類は、ある程度うるおっています。新品以外はかえって迷惑になりますから」
 仕分け作業が済むと、4、5袋のゴミが発生した。最後にG君が持ち帰って処分していた。なかには、本当に好意で送ってくれた物も含まれているだろうに。
 私は、ごめんなさい・・・と手を合わせた。

 受け取り作業や仕分け作業は昼間に行われるため、主婦の参加が多かった。初めは10人以上と人数も多く賑やかだったが、半月もすると目に見えて手伝いにくる人数が減っていった。
 ある日、G君と2人きりの日があった。
「みんなそれぞれ忙しいからね」
 とG君は言ったが、私は違うのではないかと思った。
 確かに最初はやる気はあったろう。ボランティアに参加して被災地を支援したい。その想いも強かったに違いない。でも、みんな疲れてしまったのだ。想いが萎えてしまったのだ。
 仕分け作業は地味な作業だ。ブルーシートに這いつくばるようにして荷物を仕分け、一つ一つメモをつける。最後には同じ分類のものをまとめて箱につめていく。重くなった箱を車に搬入するのも一苦労だ。
数時間の作業のあと、お疲れ様と言って解散になる。ボランティアだから賃金は発生しない。褒めてくれる人もいない。なにも私がやらなくてもいいのでは?そんな心の声を強く感じるようになっていた。
「みんなそれぞれの考えがあるからね」
 私は言葉を替えてG君に言った。
「PTAの会合くらいに考えてる人が少なくないから・・」
 G君は苦笑いして答えた。
「私はこれからも来るよ。じゃあまた次回ね」
 そう明るく声を掛けてG君と別れた。
「うん、待ってるよ。。待ってるね、のりちゃん」
 背中越しに、G君の声が聞こえた。

                                       文・写真 斉藤永江

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