A045-かつしかPPクラブ

東日本大震災・2人の友人①=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

 彼女は栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。傾聴ボランティアとして、葛飾区内の施設、および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

 葛飾区民記者の自主クラブ「かつしかPPクラブ」に所属し、積極的な活動をしています。さらに、朝日カルチャーセンター・新宿『フォトエッセイ入門』の受講生として、叙述文にも力を入れています。
  

作者HP
  


東日本大震災・2人の友人①  斉藤永江


 平成23年3月11日、14時46分、東日本大震災が起きた。

 職場のテレビで、家屋や木々、飛行機までもが津波に飲み込まれていく映像を見ながら、大変なことが起きてしまった、と恐怖感でいっぱいになった。
 即座に、福島県と宮城県に住む2人の友人の安否が頭をかすめた。
「どこだっけ、2人の住まいは」
 私は、夢中で今年の年賀状を広げた。早く早く、早く確認しなくちゃ。年賀状をめくる手がもどかしく震えた。
「あった。年賀状があった」
 1人は福島県南相馬市、もう1人は宮城県名取市であった。
 私は絶句した。一番、被害が大きい所じゃないの、と。すぐに安否を確認するメールを送ったが、地震当日は届くわけもなかった。

 私は、テレビ画面を食い入るように見た。ニュースから流れる情報を1つとして聞き逃すまいと、全てのチャンネルをくまなく合わせて回し続けた。
 悪夢のような津波映像をじっと眺めながら、生きた人間が流されていく。この現実を想い、やり場のない怒りと悲しみから体が熱くなった。
「こんなことが現実に起きるなんて」
 ニュースの報道は、最悪に最悪を重ね、とどまることのない惨劇を流し続けていた。その日の私は、寝ることもなく朝までニュースの映像を見つめていた。
 翌日になると、更に信じられないニュースが流れた。福島第一原発の事故だ。

「うそだ」
 南相馬に住む友人の職場は、浪江町にあるのだ。
「ありえないわ、なんてこと・・・」
 曖昧とした関係者の記者会見の映像を見ながら、これ以上の惨状にはならないことを強く願った。

 震災から一夜明けた日、2人の友人は、今どこでどうしているのか。もしかしたら・・・と、最悪の事態が頭をかすめる。もう1人の私がかき消す。そんなわけない。あるはずない。あってはならない。
 私は不安な気持ちをどこにぶつけていいのか解らず悶々としていた。

 ニュースでは、被害状況、死者行方不明など、信じがたい現実が少しずつ明らかになっていった。
 翌日は、メールを送らなかった。身内でも親戚でもない私が騒ぎたてても、という思いもあったが、2人の安否を確認するのが怖くなったからだ。
 向こうからの連絡を待つしかないか、と私は一方で観念した。

 震災から3日目、携帯電話が鳴った。名取市の友人からだった。心臓がギクリとして、受信ボタンを押す手が震えた。
「もしもしっ、H君?」
「あーもしもし、のりちゃん?僕は無事です。安心してください」
 東北なまりの朴訥(ぼくとつ)とした懐かしい声を聞き終わる前に、安堵で胸が張り裂けそうになった。
「無事だったのね。良かった。心配してたんだよ。でもこんな時に、私なんかに電話してて大丈夫の?」 連絡をくれてありがとう、という嬉しい気持ちと、大変な時に、わざわざ東京まで電話をくれるなんて、と心配する気持ちが交錯して自分でも複雑な心境だった。
「のりちゃん、心配してると思って」
 その言葉を聞いた後、私は声にならなかった。
                               

 お節介で心配性な私の性格を、彼はよく知っていたのだ。
「とりあえず無事を知らせなきゃと思って」
 彼は製菓学校時代のクラスメートだ。高卒で入学してきた彼と、短大を卒業後、3年間のOL生活を経て入学した私と、2人の間には5才の年齢差があった。可愛い弟のような存在だった。
 東京で1年間、製菓衛生士の資格をとる勉強をして、卒業後は仙台の洋菓子店に就職していた。年賀状のやり取りも28年間とだえることなく続き、近況を知らせ合う仲だった。
「ご家族は無事だった?名取市だよね、年賀状で確認しちゃったよ。津波の被害はなかったの?」
「僕の家は大丈夫だったけど、妻の実家が海のすぐそばだったから、津波で全部、流されちゃった。今も妻の叔父さんが行方不明なんだ」
「えーっ・・・・」
(それは大変じゃない)
 と言葉を続けようとしたが、声に出さなかった。大変なんてもんじゃない。大変なんてもんじゃないんだ。どんな言葉も空々(そらぞら)しい気がした。私の気持ちを表す言葉は見つからなかった。

「地震があった時、僕、スーパーで買い物しててさ、ドドド-ッって地響きのあと、すごい揺れがきて、全速力で出口に向かって走ったんだ。振り向いたら天井が落ちてきて、間一髪で助かったよ。その日は、家に入るのが怖くて、家族4人で車の中で夜を明かしたんだ」
「そうなんだ・・でも、奥さんもお子さんも無事で良かったね」
 今度は、心からの言葉をかけた。
                                【このシーリーズ・つづく】

                               文・写真 斉藤永江

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