A045-かつしかPPクラブ

エッセイって?=斉藤永江

作者紹介:斉藤永江さん

栄養士で、製菓衛生士です。チョコレート製作を始め、洋菓子作りと和菓子作りに携わっています。

傾聴ボランティアとして、葛飾区内および在宅のお年寄りを訪問する活動をしています。

2011年度・かつしか区民講座「記者養成講座」を終了し、卒業生たちの自主クラブである「かつしかPPクラブ」に所属し、現在は積極的な活動をしています。

朝日カルチャーセンター・新宿で22年4月から開講した『フォトエッセイ入門講座』に一期生になりました。

明るくてエネルギッシュな女性です。

作者HP
  

エッセイって?=斉藤永江

 エッセイって何ですか? それを正しく答えられる人は、どれくらいいるだろうか。少なくとも、私には即答できない。

 そんな私が、「フォト・エッセイ入門講座」を受講することになった。

 講師は、尊敬する穂高健一先生だ。太鼓持ちではないが、作家であり、ジャーナリストであり、カメラマンであり、登山家であり、良き父親、良き夫(たぶん)でもある、スーパーマンみたいな方だ。
 それでいて、田園調布でも六本木の住まいではない。私と同じ下町の葛飾なんてところに住んでいる、そのところがまた憎い。

 私は昨年、葛飾区民記者の養成講座(教育委員会主催)を終了し、先生が指導される「葛飾区民記者(葛飾PPクラブ会員)」となった。

 いま、その過程を振り返ってみた。
「文章のプロから、エッセイも同時に学びたい」
 と言う欲張りな私に対して
「君は、報道向きだよ。報道一本で行った方がいい」
 先生はそうおっしゃった。

 実際に取材現場へ出向き、インタビューを取り、写真を撮り、さらに記事にまとめる作業は楽しかった。むろん、いまも活発に街に飛び出して、嬉々として取材活動をおこなっている。

 今回は、あの学びたいと考えていた「エッセイ講座」なのである。ところが、「エッセイを書かねばならぬ」と、とたんに身構えてしまった。

 受講申し込みの段階で、「エッセイって?」そのものがわからなくなった。調べると、『形式に拘わらずに個人的な観点から物事を書いた散文・感想・見聞。随筆ともいう』とある。

 講座がはじまると、穂高先生は冒頭に、「何気ない日常の小さな出来事を大切にしよう」と話す。説えられた、とも思えた。

 極ごく平凡な私。そんな人間の些細なことを書いて、何が面白いのか。あれだけ、エッセイに魅力を感じていたのに……。

 「無駄な文章は思い切って削り取ろう。そうすると、書きたいことの本質が見えてくる」
 先生は強調する。

 陳腐で未熟で無駄だらけの私の文章。切り捨ててしまったら、何も残らない。この時点で、すでにエッセイではない。

「おなじ言葉を前後して使ってはいけない。同意語を上手に使おう」
 そんなに厳しい指導に入っていく。

 これだけの文章を一通り書いてみて、読み直してみた。

「初稿はかんたんに力を抜いて書きなさい」
 そう指導を受けている。

 第1回教室で学んだ、同義語に置き換えてみた。なにが同意語なのかすらわからなくなった。すぐに限界がみえてきた。

 つぎなるは、『何気ない』、『些細な』、『削り取る』、『切り捨てる』に取り組む。

 報道……、エッセイ……、無駄……、これらの言葉が重複したままだ。添削する先生の呆れた顔が目に浮かぶ。

    

 私は、このさき何を題材にして、どうエッセイを書いていったら良いのだろうか。読む人に共感してもらえる文章が書けるのだろうか。

 先ざきを考える以前に、まず第1回の提出作品の原稿を書かねば、と自分に気合を入れる。ともかく、枚数を埋めなければ……。こうしてラストの一行まで、書き終えた。全文を読み返してみたら、すでに規定文字数は、駄文で埋め尽くされていた。

 何気ない私の日常を披露できないまま、エッセイとは何か、それを理解できないまま、いまに及ぶ。それはそれとして、記事のみならず、エッセイをも書くことでも、今後は奮起していきたい。

 他方で、「エッセイとは何か」、このような疑問を持った受講生をどこまで成長させられるのか。指導者としての穂高先生の力量も問われることとなる。


                    文・写真:斉藤永江

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