A020-小説家

「残滓(ショート・ストーリー)③」 勝海舟が九州沿岸を巡航した

勝海舟 長崎製鉄所 明るさ訂正.png 勝海舟が四十歳にして、神戸海軍操練所の正式許可が文久3年4月23日に下りた。その神戸海軍操練所の開設準備や長崎への航海を兼ね、幕府軍艦「観光丸」あるいは咸臨丸で、かれは九州沿岸を巡航した。
 文久三年5月下旬〜6月上旬(1863年7月頃)である。 随行人数はおよそ三十〜五十名規模(士官・操練生・水夫を含む)と推定される。長崎奉行所記録にも「海軍奉行並・勝来崎」の記録がこの時期にある。したがって、この航海は操練所創設の準備行動として位置づけられる。

 とくにこの巡航は、勝海舟の生涯においても非常に重要な時期にあたる。巡航は大坂を出航し、豊後(大分)の佐賀関に上陸し、そこから陸路で阿蘇を越え、熊本へ、ふたたび海を渡り島原を経由して長崎へ向かう。

勝海舟が長崎奉行所を訪ねると、長崎海軍伝習所の第一期の同期である永持亨次郎(ながもち こうじろう)の執務室に招き入れられた。

 老中首座・阿部正弘が、安政二(1855)年に立ち上げた「長崎海軍伝習所」の第一期生として、永持亨次郎は勝海舟ともに艦長候補の入所であった。
 永井は操船、語学、会計、何をやらせても一、二位である。最もずば抜けていた<。そうそうに長崎奉行所の支配吟味役という上級官吏に抜擢された。
かたほうの勝海舟は語学が中位、航海・操船技術は下位、財務・会計は苦手、行政実務は苦手、外交交渉は得意ではない。
 したがってオランダ教官から留年を申し渡された。
 二人の間には、こんな経緯があった。

「長崎は、海の海藻が混じった香りがする。何年も鍛錬した海だ。思いれは強い」
「勝が神戸で海軍の操練所を作るという話は、早々と長崎に伝わってきた。いつ、この長崎に来るのか、と待ち遠しかったぞ」
 永持亨次郎は勝を迎えた。

 同期の永持亨次郎の案内で、勝海舟が長崎の各施設を見学する。そのなかのひとつ、御用船で長崎鎔鉄所に向かった。
 同建物の入り口に入ると、油と石炭の入り混じった臭いが鼻孔を突いた。

「この工場は長崎訓練時代になんどか来たことがある。久しぶりだ。懐かしさよりも、幻滅だ。俺の率直な感想だ」
 勝海舟の辛辣な批判がはじまった。
「完成から一年間は、技術指導のオランダ人が工場にいたから、華々しく活気があった。しかし雇用契約が切れると母国に帰国してしまった。その後はこのとおりだ。オランダ語の仕様書だと、職人はまったくチンプンカンプンだ。オランダ語の通詞も、機械の専門用語は日本語に出来ない。まだ、該当する日本語がない。だから機械が動かせない。勘でうごかし。腕や指を切断する事故が多発してしまった」
 永持亨次郎はまじめな顔で語っていた。
 
 巨大な旋盤が鉄の表面には赤錆が浮き、油の匂いも薄い。オランダ技師が引き上げると、錆びた機械、動かぬ工場である。
 隅のほうで、職人が木工の作業をしている。鉄の音はほとんど聞こえない。機械類は動かさないと錆が出る。
「永持。工場の稼働率は何割だ。大型機械など寺の鐘のように年に一度しか、鳴らんのではないか。オランダに頼る時代は終わったな」
 と揶揄した。
「もう、科学は英米仏の時代だな」
「永持。神戸に期待せよ。必ず、世界に肩を並べる海軍操練所をつくり、このさき上様にお願いし、鉄工所と造船所を建設する。世界に羽ばたくぞ」
「勝は、家茂将軍と直に話ができるそのうえ、要望も出せる。それが、だれにもできない最大の強みだ。悔しいけれど、勝には負けるよ」
 永持亨次郎はまじめな顔で語っていた。
「俺はアメリカも見てきたしな」
「あいかわらず、針小棒大だな。そもそも万延遣米使節の七十七人を遣米使節団を送ったのは、俺だと、勝海舟だと言いふらしておる。アメリカ本国へ運んだのはポーハタン号だ」
「それはそれだ
「だいいち咸臨丸は、太平洋横断の習熟を目的とした訓練航海じゃないか。サンフランシスコまでを往復してきただけだ。咸臨丸は使節の『使節団輸送』には一切関与していない」
「永持亨次郎は、知りすぎておる」
「勝海舟の船酔いは、長崎海軍伝習所で学んだ者ならみんな知っておる。船長なのに、船酔いで寝込んでおったではないか」
「そういうのは福沢諭吉だろう」
「太平洋横断の操船はブルックら米海軍士官が取り仕切った。証人はいっぱいいるんだ。勝の法螺は病癖だな」
「生真面目な生きかたしかできない永持亨次郎には、人を愉しませる話術は理解できないだろうな。永持、おまえは事実を語る。俺は時代を語る。聞く者は、どちらを面白がると思う。歴史というものはな、事実だけでは人は覚えちゃくれねえ。少しくらい色をつけた方が後世のためだ」
 そのように勝海舟は巧妙にかわす。
「相変わらずだな。色をつけるのは構わん。しかし、おのれの名ばかり金箔を貼るのは、史実ではない。自分の手柄にする癖は直したほうがよい」
「永持、お前は伝習所の頃より、ずっと『仕事ができる男』になったな」
 これがいつもの勝海舟だった。
「永持。神戸に期待せよ。必ず、世界に肩を並べる海軍操練所をつくり、このさき上様にお願いし、鉄工所と造船所を建設する。世界に羽ばたくぞ」
「勝は、将軍さまと直に話ができるそのうえ、要望も出せる。それが、だれにもできない最大の強みだ。悔しいけれど、勝には負けるよ」
 永持亨次郎はまじめな顔で語っていた。

「神戸操練所に必要な設備、人材、資材。外国に発注する前にコこの長崎鎔鉄所所の機械を転用するとよい。このままだと、宝の持ち腐れになる」
「それはありがたい。勘定奉行の小栗豊後守が横須賀に造船所をつくると計画をしているようだが、幕府財政はケチケチだからな。超小型の横須賀造船所しかできないだろう」
 勝海舟はあざ笑っていた。

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