A020-小説家

ホロコースト(ドイツ)および一億総玉砕(日本)

 ことし(2023年)11月1日、私は羽田からロンドン・ロンドン・ヒースロー空港経由でドイツに向かう航空機のなかにいた。この間、機内で折々にニュースを見ていた。いずれもトップニュースがイスラエルと・ガザの問題である。

 ドイツ取材の時期が悪いな、と私はつぶやいた。
 この問題は複雑である。端緒は紀元前からつづくユダヤ問題である。近年では、1933年から始まった1945年の第二次世界大戦のホロコーストがつよく影響している。

 ナチス・ドイツ政権と同盟国や協力者が、ヨーロッパ全土のユダヤ人を約600万人に組織的な迫害および虐殺した痛ましい悲劇である。
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  凱旋門、かつて東西ベルリンに分断されたところ 

 私はベルリン自由大学と、フンボルト大学ベルリンの二校の教授らに「明治初期のお抱え外国人のドイツ人」関連の取材を申し込んでいる。

 明治4年の岩倉具視使節団がベルリンに着いた時、ドイツ統一のビスマルクに対談する。
 当時のドイツはフランス、オーストリアに勝利し、輝かしい国家にみえていた。明治政府はビスマルクの戦歴を称賛し、英仏から次第にドイツに傾倒していく。医学、科学、さらには大日本帝国憲法へとあゆむ。

 このたびのドイツ取材において、明治政府が模範としたビスマルク宰相は外せない。ただ、ビスマルク精神はやがて第二次世界大戦のヒットラーへとつづくものだ。

 ヒットラーはホロコーストでユダヤ人の民族壊滅を図った。

  私は当時の日本に目を向けた。
 日本の武士は古来、大和魂を重んじた。切腹文化があった。己の名誉と贖罪のため、死をもって償う。恥を嫌って自刃(じじん)する

 外国では日本文化・風習として「腹切り」として知られている。太平洋戦争に突入すると、これは単なる精神論で終わらなかった。

 この武士道が戦陣訓(せんじんくん)として、昭和十六年には、陸軍大臣・東条英機が陸訓一号として、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」と通達した。

 法律で、死ぬまで戦え、捕虜になるな、と法規範になった。国民は法の下で生きているから、この規範から逃げられず、玉砕や自決を選んだ。
〈一億総玉砕(そうぎょくさい)〉という、日本民族がこの地球上から消える、という選択肢にまで及んだ。

 このたびのドイツ取材は日独の歴史である。明治初期から第二次世界大戦で、同じような歩みをした。ドイツは空爆で、ヒットラーの自決で終わる。日本は広島・長崎で終焉した。
 両国は1945年をもって壊滅な亡国に近い状態となった。ドイツは東西に分断される、日本はGHQの統治下におかれた。双方とも、進駐した軍隊によって政治支配された。

 ここまで顧みると、日本人はホロコーストを批判できる立場にない。なにしろ、一億総玉砕と叫んだのだから。
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  ベルリン自由大学の構内の食堂で
 
 ある教授はこう言った。
「日本の方はドイツ人とよく似ている、というそうですが、まったく違います。日本には個人の自由がない。ドイツ人は自由を大切にします。真逆です」
 
 ホロコーストをおしすすめるヒットラー政権に反対した大学生たちを含め、約2万人がドイツから逃亡したと聞かされた。

「日本人は逃げましたか」
「いいえ。私が知るかぎりでは、一人として聞いていません」
 当時の日本は朝鮮、台湾、満州国など統治し、パスポートなしで大陸に行ける。逃げる気になれば、中国経由で逃亡もできた。
 私はこう説明した。
「戦時下の大学生たちは、文系ですと、一億総玉砕の政策に反対せず、学徒動員で徴収されて特攻隊などで命を失くしています」
「日本人とドイツ人とは根本がちがいます。日本人は個人(自分)の考えで行動しない。現代でも同じです。日本人は会社の命令で転勤します。ドイつの会社は転勤がありません。勤めれば、おなじ場所です。奥さんが病気になれば、会社に電話して休みます。当然の権利ですから」
 ここら個人の権利とか、自由の考え方とかが、ドイツ人と日本人はまるで似ていないな、と思った。
 
 ベルリンの取材で、私は日本人はぜったいに戦争してはならない民族だとつよく思った。
 なにしろ上官がぼけていても、戦術を間違っていても、国際法に違反した命令でも、(意見をいう自由がなく)従ってしまう。
 歴史的にみて、日本人はおなじ道を歩むだろうから。

 国民が軍事政権(ヒットラー、東条)を熱狂的に支持し、かたやホロコースト、こちらは一億総玉砕という、民族壊滅まで進んでしまったのだから。理由は問わず戦争に巻き込まれないことだ。

 現代の岸田政権は支持率が30%とかありません。これは日本にとって、とても良いことです。この支持では、「戦争をやるぞ」といえば、政権崩壊ですから。一方的に戦争に進めません。
 プーチンのように80~90%の支持があれば、己の判断で、戦争への道はたやすいのです。高支持率は独裁者になれますから。

 私がそういうと、ドイツの学者は苦笑していた。

 ドイツ国民の高支持率がヒットラーの独裁を許し、歴史の悲劇を生んだのだ。それはわかっているだろう。

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