A020-小説家

小説講座のアフター・フォローで、 真半分に割れた「エンディング」

 読売カルチャーセンター金町で「文学賞をめざす・小説教室」の講師をしている。第4週木曜日の夜6時50分から2時間である。

 なぜ、夜の講座なのか。それは会社帰りのサラリーマン、OLが仕事帰りに、小説が学べるように、という配慮だ。

 片や、目黒学園カルチャースクールでは、第2週午後3時~5時までだ。こちらは平日だから、薬剤師とか、自由業とか、お寺の奥さんとか、日祭日が出勤で平日休みがとれる勤め人である。


 教室内の講座の進め方は、ほとんど同じである。提出作品は文章添削と、作品全体の講評を400字詰め原稿用紙1枚に書いて、各自に手渡している。時折り、私が「小説の書き方」のレジュメ(教材)を配布することがある。


「文学賞は結末が勝負です。最後まで読ませる技量を身につけることです。そして、結末(エンディング)はテーマとぴたり一致させる。これが最良です」
 講師の私は、小説講座の指導で、最も重視しているのが、エンディングである。


     備後福山城       
 
 
 読売カルチャー金町の場合は、講座が終わるのが夜9時である。勤め人の方は、職場から教室に直行して来ているので、だれもが空腹である。

 小説講座がおわると、高層ビル内のファミレスで、軽食を取り、ビールやドリンクバーで、のどを潤し、諸々語りあう。
 講師の立場から、「プロの小説家をめざすには」と動機づけの場にもしている。


 質問が出れば、私の体験談も語る。また、私の著作の解説、あるいは創作の舞台裏も語る。

 私は純文学でスタートした作家である。最近は歴史作家といわれることが多い。歴史ものの単行本が出版が続いているからだろう。それとともに、歴史講演の依頼があるから、なおさらだと思う。


 受講生にも直接・間接に影響を与えているようだ。小説講座で、歴史小説を書きたい、というひとがふえてきた。

 恋愛小説はせいぜい40歳代まで。その先は感性が鈍る。歴史小説、時代小説も書けるようにしておくと、息の長い作家生活ができる、と薦めている。

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 静岡県出身で、IT会社の若き役員Yさんは、伊豆の歴史小説、とりわけ江川太郎左衛門を書きたい、とつねに語っている。それだけに、幕末の小説には関心が高い。

 私が最近出版した【安政維新】(阿部正弘の死後)について、Yさんがその話題を持ちだし、
「エピローグで、えっ、こんなおわり方があるの? と意表を突かれました」
 と話題をつくった。


「期待外れだったの」

「まあ、そうです。穂高先生は、小説は死んだところで終わらせるな、というのが教えの一つですよね。阿部正弘が享年39歳では死ぬと、当然わかっていましたから、その先は先生がどう処理するのかな、と楽しみにしていました。しかし、エピローグとなり、その後の歴史の流れにまったく触れていなかった。それが意外です」

「Yさんは、どんなふうに考えたの?」と質問してみた。


「阿部正弘が死んだあと、安政の大獄が起きますよね,そこから尊王攘夷論の旋風が日本中に吹き荒れます。あっという間に、260年続いた徳川政権が瓦解(がかい)したわけです。だから、阿部正弘の開国・通商が、どう瓦解に影響したのか。穂高先生はそこらまで筆を延ばすと思いました」
 Yさんはそのように応えた

「実は、Yさんとおなじ意見が、日本ペンクラブの著名作家からあったよ。なぜ穂高健一は、薩長史観を問い正すところまで書かないのか。それを期待して「安政維新」を読んでいた。失望したよ、と強烈な意見だった」とおしえた。


「ぼくは、薩長史観の批判・攻撃でなくても、阿部正弘がペリー来航後に雄藩から意見を聞いたから、その後は外様大名の発言が大きくなった。それが強いて、徳川家の命取になった、という注釈ぐらいはあってもよかったと思います」と、Yさんはつけ加えた。


 わきから、聞き入るS君が口をはさんだ。かれは明治時代を背景にした作品を書いている。

「あのラストシーンがよかった。十三代家定将軍が、えっ、天下の命を失ったと茫然(ぼうぜん)とする。そこがとてもよかった」

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「小説とは人間を書くもの。これはジャンルを問わない。たとえ、歴史小説といえども、阿部正弘の人間が描き切れていればいい。だから、エピローグは、死後の歴史などとらわれなかった。私には、当初から、この終わり方しか考えていなかった」
 私(穂高)は、そのように説明した。


 ことし(2020)1月8日の広島県・竹原市の講演会「幕末 芸州広島藩の活躍」のおわったあと、聴講者の数人とお茶を飲んでいた。土岡さんがボールペンで、掌に『残心』と書いた。

「安政維新を読み終わったとき、ラストで未消化な気持ちになりました。ところが数日後になると、エピローグの読後感がもっとも心に残っていました。つまり、『残心』です」
 

 昨年10月の発行後、まっさきに感想をくれたひとが、広島市・平見さんである。
「よかったです。エピローグは三度も読みましたよ」といきなり、そこに及んだ。
 

 このように、「安政維新」(阿部正弘の生涯)のエピローグは、評価が真半分に割れている。
 歴史書に近いところで読まれた読者は、エピローグに不満を感じたらしい。
 阿部正弘の性格・人柄など感じ入ったひとは、エピローグに読後感の良さと余韻をもったようだ。


  さまざまな読み方がある。それが小説だろう。

  文学賞は、「実力+運」だよ。選者好みに合う、それが作品の運だから、と説明することもある。

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