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穂高健一著『安政維新』(阿部正弘の生涯)② 明治政府は阿部政権の施策のパクリだった

 西欧5か国と和親条約を結んで開国したあと、阿部正弘は安政3年、「富国強兵」を国家の柱に掲げます。

 そして、日の丸制定、外国との条約国名は大日本(おおやまと)帝国(みかどのくに)、安政5か国通商条約、海軍・陸軍の創設、蕃所調所(ばんしょしらべしょ)(東大の前身)など数々の国内改革を断行していきます。
 まさに、阿部正弘は近代化、資本主義化の祖です。

 この政策には見覚えがありませんか。明治時代の薩長下級藩士が政権を取り、阿部正弘政権の施策のほとんどパクリだったのです。蒸気機関車の発注も徳川家です。開通したのが、明治時代です。
 かれらの政権の自己顕示欲でしょう。自分たちをより高くみせるために、故意に歴史を折り曲げ、明治から文明開化、近代化と嘘を教え続けて、現代の学校教育に至っています。かたや、徳川幕府を無能扱いでこき下ろしてきたのです。
 「明治維新」とは名ばかりです。10年に一度は戦争する国家になったのです。明治時代を正確に表現すれば、『明治軍事政権』です。徴兵制で、日本の農民らに殺戮(さつりく)の武器をもたせたのです。

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 豊臣秀吉が刀狩で、「兵農分離」させました。それをうけついだ徳川幕府は、260余年間は、兵農分離を維持しました。二度と戦国時代にもどらない。封建領主の凍結で、戦争をさせない。外国の侵略による戦争を回避するために鎖国政策をとります。
 海外交流は欠かせないので、唐とオランダとの交易に限定しました。


 武士、農民、町民の三段階の身分制度のもとで、農民は鍬と隙をもって田畑を耕す、新田開発をする、農事に専念できました。戦国時代のように、大名の命令で雑兵として、農民が戦場に駆り出される不安がなくなったのです。

 秀吉の朝鮮出陣は歴史上の汚名ですが、一方で、刀狩は日本人に戦争のない時代を与えてくれたのです。江戸時代の平均年齢からすれば、先祖代々、約10世代にわたり戦争を知らない人生がまっとうできたのです。

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 外患内憂の時代となると、徳川幕府の鎖国主義にも限界が出てきました。
 阿部正弘政権は、強い外圧のなかで、戦争をせずに開国し、植民地にならず、安政の5カ国条約を結びます。そして、近代化、資本主義の導入を計りはじめたのです。

 安政3年には「富国強兵」を柱に据えます。それは帆掛け船と大型蒸気船との戦いでは、日本国民が悲惨な状況になる。防衛力がないと、西洋に侵略される、という現実がありました。
 抑止防衛で軍艦を買う。農民から搾取すれば苛政になる。海外との通商を拡大し、収益を得て、軍備をそろえるという政策です。外国との戦争を抑止し、国民を守る政策でした。


  阿部正弘政権の有能な人材が、イギリスの経済学者・アダムスミスの「富国論」と、防衛の「強兵」と接合した有機的な「富国強兵」策でした。
  拙著『安政維新』は、この富国強兵が生まれる過程を、わかりやすく、克明に描いています。つまり、むずかしい経済理論を、小説として、ひらたく誰にでも理解しやすく書いています。

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 どんな立派な政治理論も、政治家の運用しだいです。わい曲されると、とてつもない不幸をまねきます。これらは歴史から学ぶ点です。

 下級藩士が政権をとった明治政府は、阿部正弘の「富国強兵」をまねて政策の柱にします。用語は同一ですが、実態はまるで正反対です。為政者が自分たちをより大きく見せるためのもので、戦争推進への国策に利用します。
 
 戊辰戦争(箱館戦争)が終結して、すぐさま明治5 (1872) 年には、秀吉の刀狩の恩恵を無視し、山縣有朋らの建議により「全国徴兵の詔」が公布されたのです。まさに、いきなり軍国主義に突っ走ったのです。
 これは維新とは言えるものではないのです。維新とは、故事によると、「国家の変革で、民をより良くする」という内容です。

 明治政府は「富国強兵」をもって、海外侵略の主要な国策にすえたのです。台湾出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争。銃をもって戦場で死んだ農民・町民(二等兵、一等兵、上等兵)などは幾百万人でしょうか。

 富国強兵が、国民の犠牲の政策に利用されたのです。

【関連情報】 

「穂高健一ワールド」における、『『安政維新』(阿部正弘の生涯)①~③は、引用は開放いたします。④、⑤も近日中に掲載します。

 このシリーズは、著作権に関係なく、ご自由にお使いください。


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