A020-小説家

穂高健一著「広島藩の志士」(南々社)=新装版 3月12日より全国一斉販売

 穂高健一著『広島藩の志士』(1600円+税)が広島・南々社から、3月12日に全国の書店・ネットで販売される。同書は、「二十歳の炎」(日新報道)の新装版である。「まえがき」「あとがき」「口絵」が付加されている。

 新装版「広島藩の志士」の発行まで、簡略に説明しておきます。
「二十歳の炎」(日新報道)が出版不況で業務停止し、5刷で止まった。すると、アマゾンなどでは絶版本として希少価値が出て、いっとき3万円台まで暴騰した。私の方で、手持ちや在庫をかき集めて市場に流し、3000円台まで下がった。
 それも、焼け石に水で、現在は8250円である。(2018.3.10)。

「二十歳の炎」の帯には『芸州広島藩を知らずして幕末史を語るなかれ』と銘打った。絶版本が高額のために、大勢の方々に幕末の広島藩の役割を知ってもらうことができなくなった。

 出版・印刷関係者の尽力で、広島市の南々社が、新装版『広島藩の志士』として出版を引き受けてくださったものである。
 帯には、【倒幕の主役は広島藩だった!】とずばり明記した。大政奉還、小御所会議で、明治新政府樹立まで、広島藩が主導したことには間違いない。

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 同書の「まえがき」を一部紹介すると、

 明治維新は薩長倒幕によるものだと、日本中のだれもが信じて疑わない。その実、長州藩(毛利家)は德川幕府の倒幕にほとんど役立たなかった。と言うと、えっとおどろきの声をあげるだろう。

 第二次長州征討(慶応2年・1866)で、長州は勝った、勝ったというが、藩内(現・山口県)にふりかかった火の粉を追い払ったにすぎない。その先もなお朝敵で、となりの芸州・広島藩領にも、京の都にも行けなかった。

 慶応3年10月15日に、徳川家が大政奉還をおこなった。それから約1か月半後の12月9日に、王政復古による小御所会議(京都御所)で、明治新政府が誕生した。ここにおいて260余年間つづいた徳川幕府が正式に倒れた。
 この時点で、京にいた毛利家の家臣といえば、品川弥二郎たち数人が情報収集で潜伏していただけである。明治新政府が発足しても、長州藩から三職に任命されたものはだれ一人いない。
 ここからしても、長州藩は倒幕の表舞台で役立つ藩ではなかったのだ。

 明治42(1909)年に編さんが完成した『芸藩誌』(げいはんし)は芸州・浅野家の家史である。編さん委員には約300人が携わっている。本書は、この『芸藩誌』をもとに書き下ろした歴史小説である。 

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 同書の「あとがき」には、幕末史に関わった慶喜将軍、大名、家老たちの日記がことごとく消えている。
 その焚書について詳細を明かしている。

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