小説家

光と影=恩師と私

 私はいま2つの歴史小説を追っている。一つは「阿部正弘と日露和親条約」、もう一つは「天保の信州」である。阿部は福山藩主だったから、広島・福山へ。信州は長野、岐阜へと取材に飛び回っている。
 むろん、歴史小説には、史料(資料)の発掘と、その読み込みが不可欠だ。読むべきものが机の周辺に高く積まれている。寝床の周りにも……。

 私は区民大学、カルチャーセンター、NPOなどの「小説講座」、「エッセイ」、「写真エッセイ」など、各講座を持っている。すべて添削がともなうから、往復の車中やホテルでは、それに集中する。
「大変だな」と自分のハードなスケジュールに呆れることが多い。


 そんなときには、私の恩師・伊藤桂一先生を思い浮べる。直木賞作家で、売れっ子でハードなのに、「講談社フェマース・スクール」で、私たちの小説作品を実に丁寧に読みこんで指導してくれた。むろん、プロ作家の目で講評するのだから、実に厳しかった。

 伊藤先生のことばを思い浮べる。「講師の話しがきた当初、講談社に断りつづけた。結果として、引き受けた。やるからには後輩を育てる、それを生き甲斐にする」と述べられた。それには感動した。この先生のもとで、プロ作家になるぞ、と強い意志を持ったものだ。


 講談社が絵画部門の不採算で、4年くらいでクローズした。私は皆を代表して、伊藤先生に引き続き小説指導を頼み込んだ。快諾してくれた。同人誌「グループ桂」が生まれ、いまなお指導してくれている。
 たしか今年で95歳だと思う。頭脳は若い。なにしろ、ビッグな文学賞の選者として活躍されているのだから。


 私は約7年くらい前から、後輩指導で、みずから講師に乗り出した。「伊藤先生が私を育ててくれた。それを次世代に引き継ぐ」という精神である。
 人間の命は有限だから、今持っている私の技量を基本的に全部出し切る。私が永年蓄積したものをこの世に残していきたい。だから、出し惜しみはしない。手抜きはしない、と私自身に言い聞かせている。
「良い面を育てる。瑕疵(かし・キズ)は改善してもらう」と作品に赤とか、青とか、ていねいに入れて指導している。


 受講生のなかには、「お金を払っているから」と思うのか、お客様意識の人が時おり出てくる。作品を提出したり、しなかったり。あるいは提出作品があるのに、欠席をしたりする。チャランポランとまで言わないが、学ぶ意志を疑ってしまう。

『講座日は半年前から決まっているのだ、他の用は入れるな。熱があっても、這ってでも出てこい。こっちは執筆時間を割いて添削しているのだ』
 と怒りたい気持ちもある。
『作家は時間がいかに貴重なしごとか解っているのか。お金(講師料)に替えられないものがあるんだ』
 伊藤先生は決してそれを言わなかった。だから、私も極力、抑えている。

 たとえ、お客様受講生だと判っても、すべて均等に対応する。作品の講評において、光と影を作らない。「褒(ほ)め殺し」はしない。それをすれば、指導者の私の心に影をつくるからだ。

 今更ながら、恩師の伊藤桂一先生は凄い人だな、と思う。人生のなかで、最も影響力がある出会いだった。真似すればするほど、恩師の光を感じさせられる。影はなかった。

                                     「了」

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