A020-小説家

朝日新聞・書評委員会メンバーの立石ツアー・深夜まで悦に(中)

 朝日新聞・書評委員会のメンバー13人が、京成立石駅の線路側にある、『呑んべ横丁』に驚嘆していた。古い飲み屋街だ。日本国内を探しても、これほど古い飲み屋街はそうもないだろう。

 アーケードは低く、細長く、2本通っている。『終戦後』『敗戦後』という言葉が似あう。そのことば自体がもはやはるか彼方に遠ざかり、それを使う人もほとんどいない。むしろ、『昭和の町が似合う』と置き換えた方がわかりやすいだろう。
『呑んべ横丁』は閉店した店もあるが、いまなお数軒が細々と営業している。昼過ぎから開店する飲み屋もあれば、かなり遅い時間から開けるところもある。さまざまだ。

 同メンバーたちは興味の目で、『呑んべ横丁』の路地を何度も往復する。

「軒が低く、暖簾の下がった店入口が低い造りばかり。それは終戦後の日本人が栄養不足で、背が低かったから、当時の身長に見合ったものです」
 昭和史研究家の保坂さんがそう語っていましたよ、と出久根達郎さんが教えてくれた。
「なるほど」
 私はやはり研究家は観る視点が違うなと思った。

 朝日新聞「文化くらい報道部」の記者が、「横須賀にはレプリカでこれに似た、『昭和の飲み屋街』をつくっているんですよ。行列ができるほど繁盛しています。この「呑んべ横丁」は本もの。これをなぜ、もっと生かさないのかな?」と首を傾げていた。

 この先『のみや横丁』は取り壊される、そうした運命にさらされているようです。京成電車の路線拡張とか、高架線とか、駅ビル開発とか、いろいろ取りざたされている、と私が説明すると、
「残すべきですよ。横須賀などは町おこしで、あえて創っているんですよ。もったいない」
 同記者は、そう強調したうえで、あらためて取材にきますと話す。彼は経済関連の書評の担当記者のようだ。

 書評委員会のメンバーの一人は、ネットで事前に知り得た「鳥房」が火曜日休みで残念がっていた。

 立石駅の踏切警報機が鳴る音がひびく。それを聞きながら、わき道、さらに折れ曲がった細道へと入っていく。夕方4時で、まだ日が高いけれど、駅裏の飲み屋の一部は営業している。むろん、客は入っている。立ち食い鮨屋などは客があふれている。

「立石はこんなにも、早く店が開いているんですね」
 それが奇異に感じるらしい。
「もっと早くに店は開いていますよ。人気店の『うちだ』などは」
 その背景の説明をした。

 葛飾区内を流れる中川はかつて清流だった。河岸には織物工場が発達してきた。西陣織のように、染めていた布を川水で洗っていた。他にもゴム工場とか、ビス部品など孫請け的な家内工場が数多くあった。父ちゃん母ちゃんに、工員を1人2人雇う、そんな町工場だ。

 かれら工員は早朝から働き、夕方早くに仕事を終える。そして、コップ酒を駅裏で1、2杯飲んで疲れを落としてから、帰路に向かう。


「だから、モツ煮とか、惣菜をつまみにした、飲み屋が発達したんです」
 夕方7時頃になると、行員あいての飲み屋は店仕舞いをする。

 それに前後して、こんどは商店街の店員を相手にする、飲み屋がノレンを出すのだ。

 立石の商店街は、葛飾区内最大級である。駅の北側と南側と、アーケード街、仲見世など、縦にも横にも商店街が発達していた。
 立石にくれば、惣菜食品、衣料品、生活関連物資など、あらゆる物が買い揃えられていた。

 しかし、平成になると車社会がより発達し、駐車場のない商店街は斜陽化していった。ただ、京成電車がいまなお高架線にならず、(商店街や住民が反対運動、抵抗したから)、町は分断されず、それがシャッター街の手前で持ちこたえている要因になっていた。

 ただ、商店の跡継ぎ問題などで、斜陽化は必然だった。「立石も、他と同じか、シャッター街か」と思われる寸前に陥った。
 ところがここ数年のネット文化が思わぬ助っ人になった。

『立石の飲み屋は、安くて美味しくて、手作りの味だ。酒飲みの聖地だ。立石を知らずして、酒のみというなかれ』
 20代、30代の若者たちがこんな発信をはじめた。すると。都内のみならず、茨城、埼玉、千葉、神奈川あたりからも週末になると、若者がやってくる。手作りだから、安くておいしい。

 いずれも平日は地場の工員や店員がきて呑む。だから、店主とすれば、店が若者で流行っていても、ふだんは顔見知り客だし、下町気質で値上げなどまずやらない。ネット情報がさらに拍車をかけていく。「立石は安くて美味しい。ボル(高額)店などない、どこに入っても」
 そうなると、高い交通費をかけてくるから不思議だ。

 土曜日、日曜日など、地場の客数と若者と完全に逆転する。人気の飲み屋の店先に、長い行列ができるのは当たり前の風景になってきた。京成電車は深夜0時ごろで終わる。最近では、遠距離客を狙うタクシーがずらーっと行列している。

 書評委員会のメンバーを案内したのは、そうした若者の人気店ではなく、いまなお工員・店員あいての『あおば』だ。下町特有のメニューで、その品数の豊富さは立石随一だ。まだ、若者に荒らされていない? 
 私はこれまで日本PENクラブの数多くの作家仲間を「あおば」に案内している。異口同音に『ここはとても居心地が良い』と気に入ってくれている。【つづく】


                            写真:滝アヤ

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