A020-小説家

第61回・元気100エッセイ教室=心理描写を書こう

 エッセイは身の回りの出来事や事実をそのまま書くだけ、それでは完結しない。そこに心理をつけ加えて書くことで、人間らしい作品として共感・共鳴、さらには感動へと近づけられるのである。

 叙述文学(エッセイ、小説)において、大事なのは文章である。描写が文章の基本である。そのなかでも、最も重要なのが心理描写である。それはなぜか。人間は行動を起こす前には、必ず考えるからである。それら考え、心のなかを綴るのが心理描写である。

人間は常に自分の立場でものを考えている。
「迷い、打算、思惑、勝算、相手の心の読み」
 行動を起こす前、それらが脳裏を渦巻く。あるときは悩み、神経をすり減らし、考えた末に行動を取らず、見合わせることもあるだろう。
 博愛的な、他人のことを常に思う、心温かい人と高く評価される人でも、全思考の96%以上は自分の立場でものを考えていると一般にいわれている。

 大事故や災害に巻き込まれた瞬間ですら、人間は「死にたくない、助かりたい」という咄嗟な考えから、四肢が連動して動く。一瞬の危機でも、考えなくしての行動はないのである。

 エッセイの心理描写を書くとは、それら行動に及ぶ前の考え、想い、気持ちを取り出し、文字化することである。つまり、「私」の心に容赦なく手を突っ込み、心の想い、考えを取り出す、作業である。
 こうした心理を的確に描くほどに、「人間って、こういう行動のとき、こうも考えるよな」という普遍性に近づいた、よい感動エッセイとなる。
 ところが、[私]の心は実に厄介で、つかみにくく、得体のしれないものである。多くは自己中心に考え、自己本位に満ちている。負とか、マイナス面は隠そうとする。愚かで、いかがわしい存在である。

 この心理描写がなかなか書けないのである。つい逃げてしまう。あげくの果てに、上辺だけ、建前でエッセイを書く。すると、読者は悧巧だから、「書くべきところを書いていない」と作品を見下してしまう。
 

 エッセイは歩んできた人生の一コマ、出来事、行動の心理を書き綴ることで、「私」自身を再認識できる。それがエッセイを書く喜びであり、苦しみでもある。

「私」の心理を書くためには

  ①心を飾らない。ウソをつかない。逃げない、伏せない。
   心の奥底をみせる勇気が必要です。

  ②感情表現だけでなく、心が移り行く過程を追っていく。
  心の動いていく様子を、流れとして書くことです。
  

  ③一つの行動に対して、建前と本音をはっきり列記する。
  対比法を使う。

 ④「どう感じた」よりも、「どう考えた」の方にウェイトを置く。
   他人の作ったTV、映画、読書の紹介は、「私」の考えでなく、「どう感じた」という感想文である。
   私自らの行動、制作、発言をもって「私は考える」が生まれる。

 ⑤抽象的な表現、概念の用語で書かない。具体的に書く。
   日本人は~、という概念で書くよりも、「私自身は~」と書く

【留意点】

 悲しい、腹だたしい、苦しい、むらむらする、さびしい、という言葉は感情用語である。これを心理描写と誤解している人がいる。
 心理描写(心の動きと流れ)はまったく異なる。感情(感じた)は結果だけの表現である。
 
 心理描写とは心の動画、感情表現とは心の静止写真(スチール)と捉えるとわかりやすいでしょう。その視点で、もう一度、最初から読み直してほしい。

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