A020-小説家

第53回・元気に100エッセイ教室=紀行エッセイの書き方

 江戸時代は日本橋から京都まで、「東海道五十三次」を徒歩で行く。一日中歩いて、まず品川宿に着く。旅籠で宿泊し、翌日も次なる宿場町・川崎にむかって足を運ぶ。53日間がすべて晴れている、それはあり得ない。風雪を考えると、旅人は大変な苦労をしたと思える。


 毎月1回の作品提出のエッセイ教室が53回を迎えた。(8月と12月は休み)。5年以上も、「次は何を書くかな」と頭はつねに休む間もなく、考え続ける。

 講師の私からは、「病気、孫、自慢話し」は書かないでください。そんな条件付きだから、書く材料・素材が枯渇した気持ちにも陥ったことだろう。

「楽にすらすら書かない。隠したいこと、伏せてきたこと、恥部を描くように。苦しんで書く」という付帯条件もある。となると、妻子や友人に作品をみられたら? とプレッシャーが生じてくる。

 書きあがった初稿は、数日寝かせ、大きな声を出して読み、圧縮と省略を図り、無駄な文言を削るように。そうなると、作品の仕上がりにも時間がかかる。

 徒歩で行く「東海道五十三次」と、5年間エッセイの筆を執る。どっちが楽か、苦しいか。ともに体験者でなければ、回答が出ないだろう。

 こんかいの講師レクチャーは、「紀行エッセイ」を取り上げた。旅の随筆でなく、むしろ歴史上の人物、偉業を成し遂げた人、過去から著名な人の描き方である。史跡、資料館、墓などを訪ねた後、どのように作品化していくか。


『偉人の紹介に見せながらも、その実、「私」を書くことです』。それがコツです。つまり、偉人・著名人を見つめている私、想う、考える、そんな私を書くことである。偉人の業績ならば、文献は多いし、研究書になってしまう。
 エッセイはあくまで「私」を書くことである。


① 書き出し(導入)は、訪ねた先の情景描写から入る。この風景のなかで、作者は何をしているのだろうか。読み手にはそう思わせる。

② 偉人の業績は簡略に紹介する。(過多にならないように)

③ 好きになった(あるいは嫌いの)理由、感激・感銘した芝居、映画、読書など、作者の出来事として書く。つまり、「私」自身を書くでことある。

④ 作者がなぜ影響されたか。人生に影響した接点(へその緒で結ばれている点)、いまなお結ばれている現在の私を書き込んでいく。


 結末では、「偉人」と「私」が将来もつづくだろう、接点を書く。座右のことばとか。数年後にはもう一度訪ねてみよう、という思いとか。なにかしら将来への示唆があれば、読後感が強まる。

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