A020-小説家

村上水軍を訪ねて。瀬戸内海随一の景観・来島海峡(1)

 私は瀬戸内海の島出身である。
「瀬戸内海で、最も景観の良いところはどこですか」
 という質問を受けることがある。
 私は瀬戸内のすべてを見てまわったわけではないし、ゼッタイに「ここだ。この島だ、この港だ」と決定づけられない。
 香川県、岡山県、愛媛県、広島県、山口県など、それぞれの市町村で景観美を観光化して売っている。いずれも特徴がある。
 一般論でいえば、小高い丘とか、山の頂から海を望む景観は優れている。


どの島もすべて形状がちがう。一つとして同じ形はない。それだけに、多様な島が密集すればするほど、景色には立体感、奥行きが出てくる。
 地図をみて密集度が高い場所を選ぶと、まず良い景色にめぐり合えるだろう。ただ、瀬戸内海の地図にも表記されない、タタミ3畳から10畳敷くらいの極小の小島が多数ある(海図には記載)。足を運んでみないと、わからない点もある。

 瀬戸内海の潮は、1日に2回、近畿から九州へ、その逆へと、大きく移動している。瀬戸内海の海水量は一定だから、狭い海峡ほど潮流が早くなる。

 室町時代に活躍した村上水軍は来島、能島、因島の三つから成り立つ。総称して、三島村上水軍と呼ばれている。それぞれ歴史は微妙にちがっている。
 どの村上水軍の居城も、周囲に小島が多く、潮流が早いところを選んでいる。それは敵が攻めにくい難攻不落の居城となるからである。つまり、村上水軍の歴史を訪ねれば、瀬戸内でも最大級の美しい場所にめぐり合えることになる。


「しまなみ海道」の開通で、村上水軍の居城とした島の近くに訪ねることが容易になった。そこで春、夏、初冬と3度に分けて、三島村上水軍を訪ねてみた。写真でビジュアルに紹介したい。

 私は、小説家を目指した習作時代のころ、村上水軍と倭寇との関係を作品化にしたことがある。緻密に現地取材したわけでなく、想像力で描いたものだ。それだけに一度は現地を歩いて、わが目で確認したと考えていた。

 来島村上水軍の本拠は、今治市の来島海峡にある小島である。16世紀の頃、安芸(広島)能美島などへも勢力をのばしていた。さらには毛利元就を支援し、山口県・周防(山口)須須方の戦いに参加している。

 来島海峡は潮流の速さにおいて鳴門海峡に次ぐもの。大潮になれば、潮が激しく渦巻く。潮流は最大で約11ノット(時速・20キロ)になり、海上の灯台がまさに走っているように見える。内航の主要航路だけに、その通航量は一日約1,200隻にもなる。と同時に、船舶の海難事故は国内随一である。

 村上水軍は、この来島海峡で櫓(ろ)を漕ぐ伝馬船、帆船などで自由自在に行き来していたのだから、その技量には驚かされる。

 今治市と大島との間に、来島海峡大橋が架けられている。徒歩か、自転車で渡れば、来島村上水軍の島が間近に見える。周辺の島と織り成す光景は、瀬戸内海でも最大限の美しさで、十二分に堪能できる。

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