A020-小説家

第18回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

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 今回のレクチャーは、読む側に立った「読者の特性」と、書く側に立った「作者の特性」の2点について話した。

 エッセイにかぎらず文学作品は、他人に最後まで読んでもらう。これが大前提だ。そういう書き方がもとめられる。
 初期の段階では、作者の自分をよく見せたい、上手く書きたいと思うばかりに、『恥ずかしくて、他人に見せるのがイヤ』という人が割りにいるものだ。そういう人は日記を書けばよい。少なくとも、エッセイを書く発想がスタートから間違っている。

 読者が共感できる作品とはなにか。他の人生の追体験がでる内容のものだ。少なくとも、作者の自慢話を聞きたくて、エッセイを読むのではない。仮に1度はがまんして読んでも、2度目は読みたくなる。

 作者の姿勢としては、作中の「私」を飾ったり、メッキしたり、きれいな衣服を着せたり、鎧兜で身を守ったりしないことだ。

    ①「私」の目線を低くする。
    ②「私」を冷たく突き放す
    ③「私」をいじめ加減で書く
    ④「私」の素裸をさらけ出す

 この4点を念頭に書くことだと説明させてもらった。

 完成度の高いエッセイとは、面識のない読者でも、最後まで読んでくれる作品だ。読者の立場から作風の好き嫌いはあるが、それでも途中で投げ出させず、最後まで読ませてしまう。読者が最初に扉を開く、作品の書き出しは重要。読者をどれだけ引き込めるか。

 今回の作品紹介は、書き出しに絞り込んでみる。そして、受講生にむけた【講評】を紹介する。

吉田 年男   裕ちゃんの歌声


 多感な18歳。受験勉強に忙しかった。その年に石原慎太郎氏の「太陽の季節」が映画化された。横目で映画の看板をみながら、観たいのを我慢していた。
 入学してからも、多忙な学生生活だった。理系の学部だったので、授業をサボると、ついて行けない。そんな思いが、いつも心の隅にあった。それでも、裕次郎主演の映画を、何本か観ている。
 映画館の前には、裕次郎、小林旭、赤木圭一郎など、日活のダイヤモンドラインとして、大きな看板が掲げられていた。なかでも、石原裕次郎は、かがやいてみえた。

 映画主題歌は、レコードを買ってきて、裕ちゃんの、まねをして、よく唄った。当時は45回転のEPレコードが主流で、今でも何枚か、大切に持っている。
 社会人になっても、裕ちゃんの歌を、よく口ずさんだ。
 工場の移転で、新潟に住むことになったとき、家内が8トラックテープの、裕次郎全曲集を、買ってきてくれたことは、忘れられない。

講評
 この作品は、人生の一断面を切りとる作品だ。石原裕次郎の郷愁、愛着、思い出など、作者の心情が素朴に表現されている。ファンはとかく美辞麗句になりやすいが、距離感がある作品に仕上がっている。


上田 恭子   私のたからもの

   

 平成15年、「元気に百歳」というボランティアクラブに入会して、もはや5年が経った。このクラブは主人の会社の後輩で、鈴木さんが立ち上げられたと聞いた。会社のOB会の幹事をしていたので、会の案内を送ってもらった。パソコンができない主人に代わって、私のパソコンにくださるようになった。

「この頃、夫は病気がちですが、碁会でみなさまにご迷惑をおかけしていないでしょうか」と、心配になってメールをしてみた。それから、お会いしたこともないのに、鈴木さんに主人の悩みをきいていただいたりしていた。
「今まで、何を考えて、生きてきたのですか?」という、お叱りをいただいてしまった。一方で、「元気が最高のボランティア」というクラブに入ることを勧められたのだ。

 その頃、私がパンにコーヒーに果物などをテーブルに出しておくと、夫はお昼は自分で食べてくれていた。夕食の支度までに帰れば、出かけることは可能だった。小金井のパソコン教室に通うのは、時間的に大変だったけれど、ひと月一度の楽しみとして、許して貰っていた。みんなは、二次会にいらっしゃるし、誘ってくださるけれど、後ろ髪引かれる思いで飛んで帰った。

講評
 看病する専業主婦だった「私」はわずかな時間を作りだし、同クラブのボランティア活動に入っていく。そこで、「本部だより」に携わる。ふだんは夫の看病という苦境にいるが、手分けして印刷、発送という仕事に、開放感と喜びを見つけるのだ。
 書き難い点、隠したい夫の病状などをあえて書いて、読者の共感を得ている。


藤田 賢吾   ユトレヒト

 
 オランダのユトレヒトでスリに遭ったことがある。
 ‘03年、ドイツのハンブルグで結婚披露宴を終えて、列車でオランダの友人アンの実家を訪ねることになった。途中のユトレヒト駅で乗り換えた。重い手荷物を列車に乗せた時、手伝ってくれる人がいて、「ありがとう」と言った。

 その瞬間、ボールペンがコロリと落ちた。財布とボールペンは内ポケットだ。財布がない!「スリだっ!」と日本語で叫んだ。サァーと逃げていく3人。「どろぼー!」と叫んで追いかけた。だが、列車は、もうすぐ発車する。スーツケースは車内だ。

 悔しいが、追いかけることを断念した。手荷物を降ろし、駅構内の警察を探した。警察官は、落ち着いたようすで、こちらの状況を尋ね、双方とも英語のやりとりで、調書をとり、親切だった。クレジットカードは、警察の電話を借りて連絡することができた。

 友人の実家に電話をかけたが、バルネフェルト駅ですでに待っているのか、つながらなかった。暗くなった駅で待っていたご両親にようやく会えたときは、疲れ果て、悔しさで笑顔も消えていた。こんな恐ろしい国へは、2度と来るまいと心から思ったものだった。

講評
 4年後の07年には、「私と妻」は、和紙造形のワークショップに招かれて、ユトレヒトに出向くのだ。オランダでの良い体験、後味の悪い体験談を取上げたうえで、器用に纏め上げている。人間の落差を感じる作品だ 
 旅先での失敗談、風土や生活様式の違いなどが、しっかり組み込まれており、最後まで、エピソードで読ませる作品だ。他方で、旅先での夫と妻の落差が絶妙に描かれている。


森田 多加子   雪に泣いた日


 2月になって夫が転勤になった。
「秋田ですって?(この寒い時に)」
 宮仕えをしている者は、いやだといえない。私は義母の世話があるので、夫には単身赴任をしてもらうことにした。しかし挨拶や家の片付けなどがある。とりあえず、一緒に空路を行くことになった。

 秋田はその年一番といわれた大吹雪だった。空港は海岸に沿っていて西風が強く、飛行機は降りることができない。何度も上空を旋回している。もしかすると、東京に引き返すかもしれないという。やっと着陸できた時は夕方近くなっていた。
 出迎えてくださった方が、
「冬に秋田にいらっしゃる時は、列車の方が間違いないですよ。空港は風が強いと、すぐ降りられなくなりますから」
 九州育ちの私に、その言葉は身にこたえた。ここは秋田なのだ。

 町に着いて最初に雪靴を買う。これで雪道も大丈夫と思ったが、そうはいかなかった。ひと足を踏み出すたびにすべってしまう。何度やっても歩けない。今まで夫にすがったことがないのに、残念ながらこの時はしがみつくようにして歩いた。

講評
 南国育ちの「私」が雪国の秋田に出向いた。エピソードが連続する。車体の下に滑り込んだエピソードは、圧巻である。雪上の緊張感がショートセンテンスでたたみこみ、読者を最後まで引こんでいる。
雪靴の強い描写とか、夫婦愛が一行にして伝わる、タッチの良い成功作品だ。


塩地 薫   最後の大会記録

 
 平成19年10月10日、第五高等学校の開校120周年記念大会が開かれる。旧制高校がなくなって60年近くなり、私たち最後の入学生でも、すでに喜寿である。この記念大会が最後となるので、是非ともビデオで記録を残したいと思った。
 主催する全国五高会の代表世話人に「ビデオを撮りますか」と尋ねた。
「ビデオを撮影する意思も、協力や制限をする考えもない。撮影したければ、自由に撮影すればよい。撮影しても、その頒布に協力もしない」と、無関与を宣言された。

 記念行事の一つとして、五高記念館に収納されている貴重な資料をコンピュータで検索できるように整備した。その完成祝賀式典も同じ日に開く。参加者予想6、700名の大半が80歳以上の高齢者である。無事に、赤字を出さずに成功させる、それに専念したい、代表世話人の気持ちも理解できる。
 そうであれば、ビデオは最年少の私たちで撮ろう。と言っても、同期に思い当たる人はいない。プロに頼む資金もない。頼んでも、借金が残るだけだろう。何とかボランティアで撮影してくれる人を探すしかない。

講評
「3種類の2時間テープが40本、36枚撮りのフィルムが6本と、その写真アルバムが6冊」。それらが完成する過程が丹念に描かれている。
 旧制高校の記念大会となれば、気持ちが高揚するはず。その対象とはあるていど距離を置き、冷静に書かれている。そこには大げさなことばはなく、押さえの利いたストーリー運びになっている。それだけに共感がもてる作品に仕上がっている。

 

中村 誠   枇杷の木

                         
 隣の空地の道路に沿って2本の枇杷の木がある。居間の東向き窓から道を隔てて見渡せる。
 朝、ガラス窓の観音開きを開けると、目前に枇杷の木が眩しい日の光を背負って飛び込んでくる。晩には、満月を木の遥か彼方の空に見かける時もある。

 毎年6月頃には黄橙色の実が鈴なりになる。隣家の主人が脚立を持ち出し、網を掛けたり、釣り糸を張ったりしてカラスから守る姿はほほえましい。頃合いを察して、カラスが待ってましたとばかりに飛来して器用にくわえていく。実にタイミング良く甘みの食べごろを見極めるのには感心させられる。

 のんびりとした分譲地の奥なので、人目を心配しないで通りすがりに飛びついて採る人や、その場で試食してちらかす人もいて、これでは迷惑カラスと同じ穴の狢(むじな)と感じる。

「見かけはあまり良くないですが、ご試食ください」
 隣の主人が両手一杯の枇杷を分けてくれる。甘さと酸味でさっぱりしている。 九州物や四国物が、限られた時期に果物屋で並べられる。フルーツ缶詰のギフトセットの中に枇杷は時たま見かける。今では珍しい果物の一つ。近頃の若い人たちには、まったく馴染みがないかも知れない。

講評
 作者の緻密な観察力が、全体を支えている。『真っ青な空の下、木のそばに立つと微かな芳い香が流れてくる。昨年の夏、好天気がよかったのだろう、多くの枝先には小さな白い花が円錐状に一杯咲いている』こうした、いい情景描写が随所にある。
 同時に、情感のある描写力が全体に貫かれ、季節感が上手にとらえている作品だ。


山下 昌子   母から

                 

 エッセイ教室が終わった。場所を移してから、ひとしきり作品の話題になった。
「真珠の首飾り」という題名が良かった、これが「イヤリング」ではね。まして「ピアス」では、などと賑やかだった。ピアスに話が移り、耳や鼻に穴を開けるのは怖いという人がいた。私は、怖い以前に次の言葉が引っかかるので思わず言った。

 『身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり』
 しかし「知らない」という声があり、理解してもらえなかった。これは人口に膾炙していない言葉らしいと感じた。わたしは子どものころ母から聞いていたのだけれど。
 ピアスや刺青、整形が今では普通のことになっている。若い人にとっては、もうこの言葉は死語になっているのだろう。

 『西行は旅の衣に急がれて、着ていて縫うはめでたかりけり』
 これも母が良く口にしていた。出がけにボタンが取れたりほころびを見つけたときに、急いで裁縫箱から針と糸を持ってきた。縫っている間中「西行は…」と言い続けた。縫い終わったらピタリとやめて「さあ、行ってらっしゃい」。

講評
 小さな素材だが、古今の素材を付加させたうえで、格調高く日本の伝統、文化を紹介している。読み応えのある作品に創りあげている。


青山 貴文   風 呂

 母が半身不随になって、私が一番困ったことは、入浴であった。

 我家の風呂は、旧式で、湯殿が脱衣場より20センチくらい低い。母の看病に際し、廊下・階段・湯殿などすべてに手すりを取り付けた。しかし、入浴時は怖がってその手すりにしがみつく始末であった。入れる度に『助けて!』と奇声をあげて、近所の方に聞こえるように訴えた。

 その頃、ある宗教団体が信者を煮えたぎる風呂に入れる儀式が、テレビで連日報道されていた。どうも隣近所のてまえ格好悪いことであった。私は、半裸で母親を湯船にしずめたり、湯殿で石鹸であらったりした。特に頭髪のゆすぎには、頭から湯や水を一気にかけた。妻が、もっと静かにしてあげて、と注意するが、一瞬のことだから問題ないと頭の上からぶっかけた。
 いま考えれば、赤ん坊の頭髪を洗うように、仰向けにしてゆっくり洗ってやるべきであったかと思う。

 私たちは看病の日々の単調さを補うように、よく3人でドライブに出かけた。母も運転席の横に座り、車窓の動く景色を楽しんでいた。

講評
 母と情愛、夫婦愛、思いやりがしっかり伝わってくる、さわやかな作品だ。他方で、介護の問題の深さを描いている。風呂、湯船というテーマが絞り込まれている。それだけに、吸引力のある作品に仕上がっている。


中澤 映子   動物歳時記.その10 「天犬・アイ」

                            

 今年も初詣は愛犬アイを乗せて、地元の駒林神社にお参りした。車を駐車した後、主人と私、アイの3人は神社に通じる石段まで歩き、のぼると、善男善女でにぎわう神社の庭に出た。アイを見た参拝者が寄ってきて、声をかける。

 アイはつぶらな瞳を輝かせて、得意になる。私達は、狛犬が左右に控える石段をさらにのぼり、参拝する。その間は、ちょこんと座って、狛犬のそばで待っている。

    狛犬に 犬が尾を振る 初詣

 ドライブ大好きのアイではあるが、車に乗ってお散歩なんていうスペシャルサービスは、日頃は、ほとんど機会がない。それだけに初詣は喜んでいた。
 2年位前までは、主人と私とで朝夕2回交代で散歩していた。アイを連れて近所を歩いていると、
「まぁ脚が3本なのね」 
「でも、しっかり歩いている、えらいわね」
 などと声をよくかけられた。3本脚の経緯を説明したりしたが、最近は興味本位な感じがしてきて、話すのをひかえている。

講評
 作者の観察力は奥深いものがある。3本脚の犬と人間のユーモラスな関係、擬人法などでストーリーを運ぶ。作者の動物愛からだろう、傷害のある犬という暗い素材が、明るく楽しいの作品に仕上がっている。同時に、アイ(犬の名前)の魅力に結びついている。


二上 薆   小正月 左義長に詣でて

                            


 松取りて世ごころ楽し小正月  几董

 うす雲がかかって明け初めた冬空、寒さに凍える身に、祝詞の奏上は終わった。神饌は下げられ、待ちに待った斎(いみ)火(び)による。お焚き上げ。パチパチと弾ける音ともに、持ち寄られた連縄松飾などを組み上げて二基の円錐形につくられた藁づとが勢いよく燃え上がった。

 小正月の1月15日、鎌倉鶴ケ岡八幡宮左義長の神事である。
 左義長の火は身体を当てると若返るという。その火にあたり凍える身体を温める。お供えお下げ渡しの蜜柑は食べると風邪も避ける。それをも頂いて、今年のお正月も終わった。

 1月15日未明、正月の間、家々に鎮座ましました歳神様が帰られるという。これをお送りするのが左義長神事の火祭りと聞く。どんどん燃やすことからどんど焼きとも言うとか。

 お正月の松飾りなどを、八幡宮のこの火に焚いていただけると知る。毎年小正月の朝、お納めする飾り物をかかえて八幡宮左義長に参加したのは20年近くも前からだった。数年前ただ1回、小雪模様のおそれがあったが大事なくすぎた。この日はいつも晴れて寒い日である。

講評
 作者には観察力や、現地の取材力がある。格調高く日本の伝統、文化が紹介されている。
『拝殿への65段の大階段の上がり口には、源氏実朝の不幸を思い出させる大公孫樹がある。その手前で15分近く、元旦の神事を行う神主一行の退出を待たされた。そのいらいらもあってか、今年の八幡宮初詣は、喧騒と俗気のかたまりのような思いを強くした。
 一方、そのあと小正月、左義長神事の前に詣うでてみた。八幡宮の拝殿は静まり返り殆ど人気なく、これこそ神の社であるという思いがした』。
 ストーリーの運びが良く、長い歴史を持つ鎌倉の正月、小正月が浮き上がってくる。正月の意義が随所で考えさせられる作品だ。


奥田和美   母の人さし指

                           

 兄からメールが届いた。添付の写真ファイルを開くと、入院中の母の指が壊死で、黒ずんでいた。なにやら見てはいけないものを見た気がした。目の焦点を外して、添付ファイルを閉じた。

 メールを読むと、「入院中の母の右手の人さし指がミトンの中で糸に絡まりはずれなくなって、指先に血が通わなくなったという。どうみても強い力でぎゅっと縛らない限りこんな状態にはならない。いじめがあるんだろうか」とあった。

 2日後、兄と2人で主治医から説明を受けた。
「12日に兄弟3人で見舞ったときは、なんともなかったんですよ。15日にこんなことになるなんて、ありうるんですか?」と私。
「あるんです」と主治医はきっぱりといった。
 13日に見たときも正常だったと婦長が言う。なおさらおかしい。

講評
 作者は母の病気(壊死)という対象を突き放し、距離を置き、冷静に書かれている。医師と「私」のやり取りには、無駄のない緊迫感がある。同時に、読者がのめり込める、臨場感のある作品だ。


高原 眞 お・ほ・し・さ・ま


                  

11月の半ば、退院してきた妻を午後9時過ぎに就寝させた。病院で貰ってきた、睡眠薬を飲ませて間もなくである。入院中は眠れなかったので、退院後も飲むことがあるからといい、病院のほうから配慮して出してくれた薬だ。

「これで眠れるよ。大丈夫だ。いいね。寝るんだよ」
 と妻に言い聞かせた。
 手術で疲れたのか、開くでもない閉じるでもない、半開きの目が淀んでいる。起きているときは、ヨダレが絶え間なく出ていた口だ。その口でアアとうなづきに似た声をだした、こちらの意図が判ったのかどうか。
 枕元の電灯を小さな光にして寝室をでた。

「私」には残務がたくさんあった。一応は片づけた。やっと家内の隣にある寝台に音を立てないように入った。でも、寝床で、
「ああ、あれも忘れているな、そうだ、これも済ましておかなければ」
 と雑務を思いながら、それでもやれやれ1日が終わったという安堵感があって眠りに入った。

 ワーオー、ワーオーという声で目覚めた。家内が半身を前にかがめ、剥いだ布団を抱き込んでいるのだ。
「どうした」
 と妻の身体を抱きかかえた。うめく声で聞き取れない。数度の問いかけで「誰かに追っかけられているようだ」という意味合いを感じ取った。
 私が寝床に入ってから、まだ1、2時間しか経っていない。睡眠薬は効果がないのか、腹だたしかった。ともあれ寝かさなければならないと、とっさに「ドングリコロコロ、ドンブリコ……」
と妻の耳元で童謡を歌って添え寝をした。

【講評】
 妻の介護はエンドレスで、「私」は眠りに入るが、うつろに覚め、またうつろに眠るという連続だった。高年齢となった身で、なにかにつけて妻からは要領を得ない返事ばかり。心の重荷が増える。忌まわしい夜がやってくる。 奥行きの深い、夫婦愛を描いた作品だ。「私」の本音の心理描写がリアリティーをともなって読者に迫ってくる。
 構成がよく、読み始めたときから、強い吸引力ある。病状の専門的な解説があるが、負担なく結末まで読者を引き込む作品だ。

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