A030-登山家

【寄稿・コラム】 ナイロンザイル事件はいつ解決したか=上村信太郎

 井上靖の『氷壁』を記憶されている人も少なくないと思う。

『氷壁』は発表前年に実際に起きた事件を題材にした作品である。小説が完結したあとも、事件の解決までに長い年月を要した。


 ナイロンザイル事件とは、昭和30年1月1日に、前穂高岳東壁を登攀中の岩稜会3人パーティのトップが約50㌢墜落して、簡単にザイルが切れ、三重大生の若山五朗氏が死亡、2人は翌日仲間に救助された。

 岩稜会パーティが使用していたのは、新しく購入した東京製綱製ナイロンザイル。従来の麻ザイルよりも何倍も強く、ショックにも耐えるとされていた。
 同じころ穂高で、1週間に3件の登攀中の墜落によるナイロンザイルの切断事故が起き死亡者もでていた。


 岩稜会では若山氏の実兄、石岡繁雄会長を中心に独自に実験を重ね、ナイロンザイルは引っ張る力には強いが岩角に対しては麻ザイルよりも弱いと判り、「ナイロンザイル欠陥の仮説」をマスメディアに発表した。
 これに対して、「ザイルの結び方を誤ったか、アイゼンでザイルを傷つけたのではないか」という反論も多かった。


 4月末、登山用具の権威とされる阪大、篠田軍治教授が「ザイル切断の公開実験」を愛知県蒲郡市の東京製綱で、ザイルメーカー、登山関係者、報道関係者を集めて実施。その結果ナイロンザイルは麻ザイルよりも何倍も強いとなった。

 実は篠田教授の公開実験では、ザイルが切れないように岩角(直角)の部分をあらかじめ丸く削っておき、実験に立ち会った人たちにそのことは一切説明せず、切れなかったと報道だけが独り歩きした。

 そこで、石岡氏ら岩稜会側は、それまでの経緯をまとめた『ナイロンザイル事件』(わら半紙に謄写版印刷310ページ)を発行して各方面へ配布。

 これを読んだ作家の井上靖が、事件に興味を持ち岩稜会から取材して、朝日新聞に『氷壁』を発表。連載後、単行本が出版されると、ベストセラーになり映画化もされた。


 この後も、石岡氏と篠田氏の主張は生涯平行線を貫いた。だが、昭和48年6月、ようやく「消費生活用製品安全法」が制定され、登山用ロープが同法の対象になる。

 昭和53年には、岩稜会がナイロンザイル事件解決等の功績により文部大臣表彰されたのだが、それにしてもなぜ、もっと早く事件が解決できなかったのか不思議でならない。石岡氏は草場の陰で何を思うだろうか…。
           『山の本』106号掲載文を縮小


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№240から転載

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