A030-登山家

北アルプスの名峰・奥穂岳に登る(中)=岩、雲、太陽、水、そして人間

穂高山荘は3000メートル級の主稜にある山小屋だ。登山者たちは、苦労して登ってきた足を休める。右を見ても、左を見ても、そびえるピークだ。
「もうひと奮張りだ」
と自分に気合を入れる、間合いの時間でもある。

太陽を背にした、岩場の下りは一つ間違えば、滑落だ。足もとを見ながら慎重に、慎重に下っていく。

涸沢カールへと下っていく。前方には常念岳や蝶が岳が聳(そび)え立つ。雲と遊ぶピークをチラッと見ては、また急斜面を下ってく。


 涸沢岳と北穂高岳を結ぶ稜線は、岩場の難所つづきだ。その稜線をじっと見る。


 下山する登山者もいれば、登ってくる人もいる。深い涸沢カールは人間を微小にさせている。


                【思い出の記】

 前穂高岳の主峰(右の最も高いピーク・3090メートル)は、私の登山歴のなかで、最も忘れられない山である。
 22歳だった。涸沢から雪渓を登りつめて、山頂への岩場に取りつく寸前だった。標高は約2900メートル。先を登るクライマーが石を落とした。それがだんだん連鎖し、横広がりの落石となり、襲いかかってきた。
 ガラガラ、それは不気味というよりも、恐怖の音だ。どう逃げてよいのか判らない。

 突如として、人間の頭ほどの石が、私の顔面にむかって飛んできた。
「死ぬのか。これで人生は終わりか、淋しいな」
 その一瞬の想いは強烈だった。

 中・高校時代にはバレーボー部に所属していた。アタックされたボールを寸前まで見、ラインアウトなら、レシーブしない。瞬間の動作がそれだった。

 岩をじっと見ていて、ラインアウトと判断したように、寸前で横飛びした。
「キーん」と金属音に似た、空気を切る音が耳元でひびいた。
 
 飛んだ身体は、垂直にすら感じられる雪渓の上で、一気に滑り落ちていく。ピッケルの制動もなかなか利かない。ここでも、ふたたび死ぬのかと思った。
 ピッケルのピックが利いて、なんとか身体が止められた。

 クライマーが側まで降りてきて、「申し訳ありません。死んだのか、と思いました」とわびていた。

 人生で死に直面した、最初の出来事だった。
 いまでも思う、人間は死ぬときに、二度とこの世に戻れない、さびしいな、と想うものだ、と。他方で、生きていることを大切にしよう、できることなば、一度の人生だから、ひとの2倍、3倍生きていこう、とも考えた。

 そんな思いで前穂高岳を凝視していた。


 奥穂高岳に目を向ければ、太陽が沈みかけている。日没までは、なんとか着きたいと、登山者たちの足はやや速まる。

 台風の影響で、6日間は荷揚げへリーが飛ばなかったという。台風一過で、ヘリーがやってきた。山小屋の食材が豊富になり、昨日は倹約・節約で薄かった味噌汁のミソが、この夜から濃くなった。

 朝の太陽は神秘な世界を演出してくれる。ご来光として、礼拝する人もいる。


 下山路に入り、あらためて穂高連峰を一望する。
「穂高よ、また来るからな」
 登山者たちはそんな思いで、じっと見ていた。

 横尾に近い、屏風岩は大岩壁で1000メートルの標高差がある。どんなルートで登るのかな。井上靖著「氷壁」の舞台になったところである。

 つり橋で、川を渡る。橋下の水流は速く、水音が谷間にひびく。

 明神岳を仰ぎ見る。この山は神聖で、山頂への登山道はない。エキスパートしか登れない、険しい山稜だ。

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