A030-登山家

「死の瞬間」・3つの体験談=4分10秒

 NPO法人・シニア大樂の「講師のための話し方講習会」が、2月1日に開催された。基調講演など盛り沢山だが、そのなかの一つに「3分間スピーチ」がある。
 私は「死の瞬間・三つの体験」を語った。

 参加者たち(約30人)に、「皆さんで、最も身近に死を感じた、そのスパンはどのくらいですか。大きな手術で死ぬのではないか、と2日前、1日前くらいでしょうか」と問いかけた。

 私は「もうこれで死ぬという、数秒前、少なくとも、1分以内に死を感じたのは3度あります。その瞬間の思いは、それぞれ違っていました」と話しはじめた。


 最初は大学3年生の真夏でした。前穂高のピークを目指して、急斜面の雪渓を登っていました。突如として、岩場からガラガラ石が落ちてくる、その落石の真っ只中に入ってしまったのです。
 頭部くらいの石がこちらの顔面に向けて飛んできた。これで死ぬのか、と観念しました。
「2度とこの世に出られないのか、寂しいな」
 そんな気持に襲われました。

 高校時代までバレーボールをやっていたことから、反射的にラインアウトのボールを避けるように、全身で真横に飛んだのです。耳もとで、落石が空気を切るキーんという金属音で通り過ぎました。
 と同時に、私の身体は急勾配の雪渓を滑りはじめました。長い距離でしたが、これは雪上訓練をしているので、ピッケルで止めることができました。

 2度目は社会人になった八ヶ岳の赤岳でした。山頂への稜線で雷雲に巻き込まれたのです。稲妻が真横に走り、ピシゃーん、ピシゃーん、と間近に落ちてくる。ゴロゴロではないのです。硫黄のにおいが立ち込めてきました。

 かつて松本深志高校の生徒が西穂高岳で、落雷で大勢死んだ事故がありました。このとき、硫黄のにおいがした、という証言がありましたが、まさにそれです。あと一発で、地電流で死ぬ。
「怖いな」という恐怖そのものでした。金属製のものはポケットに隠し、頭からツエルトを被って、あとは運に任せにしました。

          

 3度目は真冬の八ヶ岳の硫黄岳です。山頂で、振り向いた瞬間に、アイスバーンで転倒し、そのまま噴火口に転落しました。
 あとで地図で計測すると、標高差190メートルの滑落でした。

 おおかた30メートルほど空中を飛んでいたと思います。背中のザックから落下し、それがクッションになりました。私は反転し、ピッケルを打ち込みました。
 角度はダムの上からのぞき見た、そんな急斜面です。そのうえ、降雪のあとだけに、雪が柔らかく、ピッケルが利かない。1秒ごとに加速度がつき、どこまでも滑落していく。岩盤まで落ちれば、全身打撲で死ぬ。

「どんな死体になるのだろう」
 そんな想いでした。どんどん落ちていくさなか、草付があり、ピッケルが食い込み、身体を止めることができました。

 冬季・山小屋の番人が、「硫黄岳の噴火口に落ちて、助かる人がいるんですね。新聞ざたにならないように、東京に帰った方がいいですよ」といいながら、簡易な応急処置をしてくれました。


 なんとか東京に帰り着いた深夜、近くの慈恵医大・青砥病院に自転車で出向きました。医者から、「ここまで何できたの?」と聞かれたので、「自転車です」と答えると、「救急車できてもおかしくない」とずいぶん驚かれました。
 脳外科、眼科などの検査で問題なくて、安堵しました。外傷は時間とともに直っていきますから。

「3つの死の瞬間」という体験から、何を得たかというと、いま生きていることはラッキーだから、残る1日、1日の大切さにしよう、という気持です。それは人一倍強くなったと思います。
 美味しいものを食べたり、飲んで語ったり、旅行にも積極的に行ったり。取材で、多くの人の話を聞いたりしています。
 日常の中でも、10分間余裕があれば、すぐさま何かをやりだす。その結果、遅刻魔になってしまいました。

 3分間スピーチが4分10秒になりました。これも欲張りな生き方の一つでしょう。

「登山家」トップへ戻る