A030-登山家

日本山岳会・年次晩餐会=東京・品川

 日本山岳会の恒例の晩餐会が、12月1日18時から、グランドプリンスホテル新高輪・国際パミール3階「北辰」で開催された。全国から500人強の会員が参列した。会員の皇太子は『愛子さん誕生日』と公務とが重なり、参列しなかった。

 宮下秀樹会長は開会挨拶で、11月に北海道支部会員が十勝岳連峰・上ホロカメットク山(標高1920メートル)で雪崩に巻き込まれて4人死んだことへの、悼みを述べた。3人は同会が取り組む「中央分水嶺踏査」に加わっていた会員だったという。

 会長挨拶のあとは、北海道の遭難死4人を含めた物故者46名(大半が病死)への黙祷をおこなわれた。

 新名誉会員と新永年会員の発表があった。新永年会員となった中村純二さんのスピーチは、拝聴に値するものだった。
 中村さんは50年前に同会に入会された。当時は、ヨーロッパのアルピニズムにあこがれ、困難、未知の山、未踏峰に立ち向かってきたという。同時に、ヒマラヤを目指した。いまの年齢において、登山には自然と融合した東洋的な登り方があると知った。それはベルトコンベアーで登るのでなく、自分なりの山登りであるべきだと述べた。そのうえで、会員の高齢化が進むいま、東洋登山の推奨を訴えた。年齢をからめた西洋流と東洋流の登山という、切り口の良さには感心させられた。

     

 晩餐会は、第9回秩父宮記念山岳賞の受賞式が兼ねられていた。受賞者は松本征夫さん(元九大教授)で、チベット高原やシルクロードの路査研究と、今回『ヒマラヤの東、カンリガルポ山群、路査と探検史』の出版にたいして同賞が与えられたものだ。

 新入会員の代表挨拶は、深田森太郎さんで、故深田久弥(同山岳会の元副会長)さんの長男。「65歳で定年退職し、残された人生を山とともに歩みたい」と述べた。他方で、高校時代の父親のエピソードの一コマを紹介し、「山岳会サロンに行く父は、浮きうきしていた」と語った。

 鏡開き、乾杯の後、会員は開宴となった。約500人がそれぞれのテーブルで、会員どうしの歓談に入った。(会員以外の入室はない。夫人同伴もできない)。

 私は山の友で日本ペンクラブ会員の上村信太郎さん(ヒマラヤ研究家・著書多数)と一緒した。愉しい会話が弾んだ。上村さん主幹の『すにいかあ倶楽部』のメンバーで顔見知りの栃金正一さん(大手電機メーカー、部長相当職)、大原正明さん(大手出版社の監査役)とも同席し談笑した。さらには、 山村さんの長年来の友人が紹介された。平野嘉彦さんだ。山の本の研究グループ『日本山書の会』(代表・水野勉、会員数全国に約250人)の会員である。

                    (左・平野嘉彦さん、中央・上村信太郎さん、右・筆者)


 栃金正一さんは百名山を踏破したという。最も厳しかった山を聞いてみた。北海道の幌尻岳(ほろしりだけ)だったという。山小屋は収容人数40名で、完全予約制。ツアー団体が大半を押さえているから、他の登山客は利用し難い。ツェルトを持参した栃金さんだが、かろうじて山小屋に泊まれた。入山前日まで悪天候だったことから、「腰まで渡渉するほど、悪路には悩まされました」と語る。
 

 現役のサラリーマンとして、自力での百名山踏破も、仕事との板ばさみで大変だったという。

 もうひとつ栃金正一さんの話題は、ヒマラヤにも3週間ほど出向いたという。人生は一度だ。会社も仕事も大切だが、それ以上に山の魅力は大きいものがあるらしい。毎日仕事に追われて時間もない、強靭な体力でもない、どこにでもいる普通のサラリーマンの中堅幹部が3週間も休暇を取り、ヒマラヤに出むいた勇気を賞賛したい。

 大原さんは大手出版社で重役(編集、営業)から第一線を退き、本格的に山登りをはじめたひとだ。登山への動機を聞いてみた。「子どものころは、何で高所に疲れに行くの?」と冷ややかにみていた。リタイア後は自然に親しみ、山の空気に触れたいと、思い切って『すにいかあ倶楽部』に入会したと経緯を語る。
        

「茅が岳に登ったとき、足がフラフラし、疲れ切っていた。樹間から甲府盆地の景色をみたときの感動から、山登りのトリコになりました」と話す。現在は体力維持および強化で、毎日バーベル体操をしているという。それには感心させられた。


     (左・栃金正一さん、右・大原正明さん。写真提供:山村信太郎さん)


 平野さんは何度もネパールの低山に登っており、5000m級の山岳で初登頂という登山歴を持つ。リタイア後なので、仕事は軽めだ。山の切手収集など、山が中心の生活に切り替わっているという。

 テーブルマスターは渡邉雄二さん(栃木支部)で、日本山岳会のヒマラヤ遠征に参加し、8000メートルを2度ばかり越えていた。栃木支部の方々の同席もあり、同地出身で日本ペンクラブ理事の『立松和平』さんと、その娘さん(中山桃子さん:画家)について共通の話題があった。
 同テーブルの、山形県米沢市の尾形榮一さんには、旧知の平山善吉さんと握手をしているツーショットを撮ってあげた。

 同期の「101会」の諏訪吉春会長、ほかのメンバーにも挨拶できた。乾徳山(山梨県)の懐かしい顔があった。

 グランドプリンスホテル新高輪は豪華な料理だった。晩餐会の終了後は、上村さんの案内で『すにいかあ倶楽部』の3人とともに、同ホテルのイルミネーションで飾られた庭を通り、品川駅前に出た。喫茶店・ルノアールでも、愉しい談話のひと時が過ごせた。

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