A010-ジャーナリスト

安政七年三月三日 上巳の節句 = 土岡健太P(呉市安浦町) および 上野の東京国立博物館・展示中

安政七年三月三日 上巳の節句

 旧暦の出来事を新暦で伝える違和感はありますが、まずお許しください。

 いま我が家の娘たちも嫁し、「お雛様」は倉庫に収められたままになっていることへのお詫びの気持ちで、以前の記事、画像ブログ/2021-01-01(穂高健一著 紅紫の館)を再掲させてもらっています。ご容赦を。

 広島県・大崎上島出身の穂高健一先生の歴史小説には「桜田門外の変」が起こったこの日、江戸城内で、時の将軍家茂公が正室皇女和宮に、このお雛様を披露する予定だったとか。

 ところが大事件が起きて、それどころではなくなり、このお雛様は持ち出され、豪農「日比谷家」にお蔵入りになったと書かれています。

紅紫の館.jpg

 後に「東京国立博物館」に寄贈?された人形の箱には「安政七年」と墨書されているそうです。

 先生は、その小さな符号からいろいろ調べられストーリーを作られたようです。小説とは言え、失意の中で節句の「お雛様」を片付けなければならなかったかもしれないということが、後の日本の進展を象徴しているように思われてなりません。

「関連情報」

① 上野の東京国立博物館にて、「おひなさまと日本の人形」が開催されております。展示期間は【2023年2月28日(火)〜 3月19日(日)】となります。
 そのなかに日比谷家伝来の「古今雛」も展示されております。

東京国立博物館『おひなさまと日本の人形』


② 穂高健一先生は、現在「公明新聞」に昨年8月1日から、1年間にわたり、「妻女たちの幕末」を掲載中です。
 通説を次々にくつがえしており、論説でも、「読者の声」においても賞賛と驚きの声がずいぶん多く寄せられているようです。
 
 本日(3/7)も同紙で読者が、幕末史が好きで今まで小説、テレビドラマはみていましたが、ペリー来航以前に、徳川幕府がこんなにも欧米やアジアの海外情報を国別に知りえていたとは驚愕です。(現代の高校歴史よりも詳しく)、雄藩(薩長土肥)などは足元にも及ばなかったとは......。

 先生にお話をお伺いすると、この3月中旬から「ペリー提督来航」、4月中旬から、将軍継嗣問題、安政の大獄へとストーリーが運んでくるそうです。

 私に「私たちは将来の指針を歴史(過去)から学んで見定める。歴史は国民の財産だよ。薩長が自分の都合で、改ざん、ねつ造された幕末史を正さないとね。5-10年後は日本史の教科書は変わるよ」と話されました。


② 桜田門外の変とは
 安政7年3月3日(1860年3月24日)に、江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で、水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。

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