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歴史講演会『安政維新―阿部正弘の生涯」= 広島県・福山市 11月5日 14:00~16:00

 ことし(2020年)は、新型コロナウイルス過で、あらゆる講演や取材活動が止まっていました。
 この間、私は歴史小説の執筆とか、よみうり・朝日カルチャーの講師とか、そうした活動に限定されていました。
 この秋になると、withコロナで、社会の活動もしだいに開かれてきました。

 私の講演は先陣を切って、福山市で11月5日に講演が開催されます。下記の通りです。

演題 「安政維新―阿部正弘の生涯」

主催者 福山市文化財団

共催  福山市

場所 「学びの館 ローズコム」4階 大会議室
    福山市霞町1-10-1 084-932-7265

参加 無料 先着80人

申込み先 福山市文化振興課 084-928-1278
 

【趣旨】
  
 福山城は水野勝成(初代藩主)が1619年(元和5年)に備後10万石の領主として入封し、1622年(元和8年)に完成しています。
 1710年(宝永7年)に、阿部正邦(あべまさくに) が宇都宮から転封し、備後国福山に入封してきます。譜代大名として、明治時代までつづく。

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 どこの城下でも、築城した大名が現地で親しまれているものです。福山市においては水野人気が強い。広島でいえば毛利家、小田原城だと北条家です。
 こうした風潮の下で、福山の方々には、老中首座った阿部正弘の「国難を救った貢献度」をもっと知ってもらいたい想いがある講演です。

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 わが国で国難を救った人物は二人います。ひとりは2度の蒙古襲来に立ち向かった北条時宗です。もうひとりは西洋列強の資本主義、植民地主義の荒波に正面から対峙した阿部正弘です。

 阿部正弘は国事の中核に座っており、18歳のときに備後福山にお国入りしたのが一度だけですから、地元びいきが薄いのかもしれません。

 しかし、国許から目が離れていたわけでなく、正弘は文武一体の教育をすすめ、藩校・誠之館を設立し、江戸は1854年(嘉永7年)に、福山は1855年(安政2年)に開校しています。藩士の身分ではなく、実力に応じて取り立てる」と人材の養成と登用の道を開いた。

 当然ながら、古い家柄、世襲を重んじる武士社会だけに、反発が強かったともいえます。それを打ち破る強さが、阿部正弘の魅力でしょう。

 嘉永6(1853)年に、アメリカ艦隊のペリー提督が、西欧列強は最新軍監で射程の長い大砲、近代的な武器で浦賀に来航します。翌月にはロシアのプチャーチン提督も長崎にやってきます。

 一つ政権が250年も長く続けば、当然ながら、内部は旧弊な、古い体質、世襲制に陥る。
「異国船は撃ち払え」
 当時の日本は伝馬船、弓矢と砲筒です。戦力てはとてつもない差があります。わが国は武士道で勝てる、と勇ましい。しかし、西洋にも騎士道があます。

 
 こうした徳川幕府は旧世代的な、保守的なカビの生えた体質だった。若き老中首座の阿部正弘は、優秀な知的人材の抜擢しか、唯一、国家を守れないと考えた。そして、因習的な時代錯誤の幕閣、大名、幕臣を敵にまわしてでも、開国し、近代化の道を切り拓いた人物です。

 わが国は戦争せず鎖国から開国し、通商、近代化の道を拓いた。植民地にならなかったのは、アジア、アフリカ、南米で唯一の国です。それだけでも、阿部正弘の偉大さがわかります。
 
 講演では、こうした阿部正弘の業績と、取材で得た内容などもお話しさせていただきます。

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