ジャーナリスト

内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である

『自国に不利な歴史を教えようとしないと、結果的に真実が見えてこない』

 この言葉は、私が2019年の年初に拾ったことばである。私は常々、「なるほどな」と思った格言、用語、あるいは寸語などを一冊の分厚い備忘録に極力書きとめている。

 ちょうど100年前について、西洋史と日本史と重ね合わせているときに、『自国に不利な歴史を教えようとしない』ということばに出会った、私はとっさに「広島に原爆がなぜ落ちたか、知っていますか」という質問を広島人にむけたけれど、一人として答えられなかった。
 その光景が思い浮かんだのである。


「広島は平和都市だ」
 行政も、市民も、多くが叫んでいる。そう信じている。片や、原爆投下までの日本史は知らない。おおかた広島市内で取材しても、9割以上が答えられないだろう。
『自国に不利な歴史を教えようとしない』
 広島人は戦争アレルギーだと称しているが、その実、自国の歴史に責任を持たない、負を語る勇気がない結果だと思っている。

 
 江戸時代の広島の為政者が、毛利家だと思っているひともいる。
「47都道府県で、広島が最も歴史オンチだ」
 私はなにかにつけて堂々と言っている。広島県出身だから、私が言わなければ、誰が言うのですか。他府県の人は、遠慮して言わないでしょう、と。なぜ学校教育で、広島の近現代史を教えないのだ。そんないらだちもある。

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 言い放しでは無責任だ。私はここ数年、「広島人はもっと歴史を学ぼうよ。勉強しようよ」と広島に出向いている。草の根運動である。ときには手弁当でも、無償でも、懐具合など無視して出向いている。


 多少は地元史を知っている郷土史家もいる。「日清戦争で、広島は大本営になった。明治天皇が広島に来られた。そのとき臨時国会も広島で開かれた」。
 その先はどうなったの、と聞いても、まずは答えられない。

 当時の清国は満州族が施政していた。アヘン戦争でイギリスにさんざん痛めつけられた。その次に日清戦争で大敗を喫する。義和団事件で疲弊してしまった。

 日本留学経験がある孫文(そんぶん・漢民族)の小さな革命集団に、いとも簡単に倒されてしまった。辛亥革命である。
 その孫文には力なく、独裁色のある袁世凱(えんせいがい)に大総統の座を譲った。そこにつけ入ったのが、日本国政府と財閥だった。


 日本国政府は、袁世凱に対して「対華二十一か条要求」で、満州の領土と利権をよこせと期限付きで迫ったのだ。これが大きな歴史の節目になった。


                 ☆


 第一次世界大戦が1914年7月28日から勃発し、1918年11月11日で休戦しながらも、ドイツが1919年6月28日に「ヴェルサイユ条約」に署名するまで続いた。いまから、ちょうど100年前である。

 この「ヴェルサイユ条約」が、第二次世界大戦の入り口となった。敗戦国への過酷な要求が、ナチズムとファシズムが台頭する要因をつくってしまったのだ。


 イギリス・フランスが大戦中に、中近東の諸国に独立と権益を認める密約があった。これが現在の中近東問題である。100年経っても、問題が解決されない、という大きな課題を背負ったのである。
 
  この大戦のさなかに、日本がドイツに宣戦布告し、ドイツから山東省権益を奪った。そして、日本が中国に「対華21ヶ条要求」を期限付きで突き付けた。
「ヴェルサイユ条約」で、中国代表団が、日本に山東省を返還してくれ、とつよく要求した。しかし、同条約では認められなかったのだ。


 いまから、ちょうど100年前である。ここから日本政府と軍部は、満州がらみで発砲、爆破事件を起こしては中国人がやったと言い、暴走していくのだ。
 やがて、日本の暴走が世界から批判され、(国際連盟脱退・日独伊三国同盟から)見放されて、より孤独になる。1、2年で終結させると豪語しながら、その裏付けがなかった。最悪な選択肢で真珠湾攻撃に突入し、悲惨な沖縄戦、東京大空襲、広島・長崎原爆投下になっていく。


 その根底には、西洋と並ぶ巨大な軍事大国になったという優越感と驕(おご)りが、政府にも、国民にも、メディアにもあったのだ。武器を持たせれば、使いたくなる。これも歴史の真実のひとつだ。
 
 いまから100年前に、この大惨事の導火線に火がついたのだ。

 わずか1世紀前か、もう遠い昔か。
 第一次世界大戦を利用して、大隈重信内閣が出した「対華二十一か条要求」から、日本の歴史が狂った。政府に巨大な軍事力を持たせた結果なのだと、歴史の真実を知らなければならない。
 
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 大隈重信は早稲田大学の創設者、広島は平和都市だ、と舌触りの良いことばだけでは、歴史の真実が見えてこない。 
 自分たちに不利なことを知ってこそ、歴史の真実が見えてくる。

 
 大日本帝国憲法には内閣の規定がなかった。それが大きな欠陥、瑕疵(かし)だった。軍人が台頭し、軍人による軍事支配の国家になった。

 その反動で、戦後の日本国憲法は、最大の権限をもちすぎた「内閣総理大臣主義」をつくってしまった。数百人の代議士さえ押さえてしまえば、なんでもできる。
   

 今年は日本国憲法をつつくらしい。公約だという。誰と公約したのか。かなり内閣の独りよがりだ。ならば、私たちは100年前から、歴史を勉強する必要がある。2度と戦争をしない国家をつくるためにも。これ以上の巨大な軍事大国にならないためにも。


 憲法改正の是非を問う国民投票に迫ってきたときは、もう少しさかのぼって150年前の薩長閥による明治維新から、じっくり歴史を学んでいく必要がある。

 明治の人は、自由民権運動が、まさか、こんな憲法になると思わなかっただろう。憲法草案から発布まで、言わずと知れた伊藤博文内閣によって、大日本帝国憲法がスタートした。


 内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である、と認識するべきだ。その時が来たのである。それが国民投票だ。

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