A010-ジャーナリスト

伊藤博文・初代総理、佐藤栄作ノーベル平和賞、安倍晋三総理=ねつ造の歴史

 公文書はたいせつな歴史の物証である。その偽証は国民にたいする重大な歴史の犯罪である。この認識は政治家も、国民もしっかり持つべきだ。


 いまや、安倍晋三政権のもとで、公文書のねつ造、隠ぺいが平然とおこなわれている。財務省、厚生省、文部省、ブルタスお前もかと防衛省すらも隠ぺいする。シビリアン・コントロールの欠如が、軍部の独走を招き、戦争への道になる。
 安倍首相はそれすら、解っていないのだろうか。

 ありていにいえば、安倍首相は、過去の長州(山口県)の政治家たちの隠ぺい体質で、どれだけ日本人を不幸にしてきたか、歴史からまったく学ぶ姿勢を持っていない。あなたも、おなじ過ちをくり返させるのか、と言いたい。

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 明治18(1855)年に、伊藤博文が初代内閣総理大臣となった。井上薫、山形有朋が政治の中枢についた。
 この段階で、太政大臣の三条実美ら公家が政治の中心から墜ちた。そして、長州閥の政治家の独壇場になった。

 かれらは内閣の総理大臣や主要な大臣になった、とはいっても貧農、中間、駕籠(かご)かきの息子らだ、と皇室や公卿や元大名たちから侮られた。
「おまえら、戊辰戦争のころは貧農の足軽以下だった。おまえら長州が徳川家を政治倒幕したわけじゃない。高度な政治の隅っこにもいなかった」
 出自(しゅつじ)には、かれらはことのほか劣等感があった。

 長州出身の政治家は、貧しく育ったゆえに、基礎教育、教養が乏しく、「歴史の歪曲は国民のためにならない」という倫理観の認識すらなかった。
 権力を持つと平然と、なんでもやれると錯覚していた。この点は貧農の出自だった豊臣秀吉とよく似ている。力をつけると朝鮮出兵し、自分を大きくみせた。
 長州閥政治家たちも、秀吉とおなじ朝鮮・中国・満州侵略で、大きくみせる行動にでていくのだ。

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「人間は自分を大きくみせるために、とかく過去を自慢したがる」
 明治半ば、伊藤博文・初代総理たちは、文部省と宮内庁に命じ、自分たちに都合の良い『幕末史』の編さんを命じた。
 ベリー提督来航から廃藩置県までだ。
『徳川支配の幕府は堕落・腐敗の政権だった』
 とこき下ろし、
『われら長州藩が中心となり、薩長で倒幕し、近代的な新政府をつくった。西洋と肩をなべる富国強兵国家をつくった』
 かれらは都合よい英雄の近代史をつくった。

 それを義務教育で教えた。幼い学童は「虚偽の幕末史」で洗脳されてしまったのだ。軍国国家が正しいと信じた。

 しかし、倒幕の主力となった元大名・家老たちの日記には、伊藤俊輔、山縣有朋、井上聞多らが、いっさい名が出てこない。かれらは倒幕に役立つ人物ではなかったのだ。
 この事実が取りざたされると、加担しなかった徳川倒幕のウソがばれてしまう。かれらは明治18年に政権のトップに立つと、官僚や県令(県知事)らを介し、大名・家老日記をことごとく焚書(ふんしょ・焼き棄てる)させたのだ。まさに、歴史のねつ造のためだった。


 山縣有朋はこのころから日本の軍国化をより強烈にすすめた。国民皆兵、教育勅語、文民統制を排除し、治安警察法など、帝国議会で戦争法案を連続して成立させたのだ。

 教育勅語を暗記させられた子供が、大人になると、軍人勅諭を覚える。すべての戦争は『祖国のためだ』と信じて疑わない人民となった。

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 日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、第一次世界大戦、日中戦争、満州事変、太平洋戦争へと国民は、祖国のためだと、男子国民(理系を除く)は海兵で、戦場にかり出された。

 兵士および非戦闘員をふくめると、国内外で、一千数百万人の犠牲者を出させてしまった。

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 太平洋戦争が敗戦で終了した。
 沖縄は米軍の統治下におかれた。当時、日本は核兵器は作らない、非核三原則を堅持していた。『核兵器をもたず、つくらず、持ち込ませず』が政治家と国民の最大のコンセンサスだった。それを見事に破った政治家がいる。


 佐藤栄作首相のもとで、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄が日本に返還された。翌1973年には、佐藤栄作は『核不拡散を提唱した』という理由で、ノーベル平和賞を受賞した。

 ところが、佐藤首相は国会で国民に嘘の答弁していた。正義感のある新聞記者が、沖縄返還には「有事の際の核持ち込みに関する合意」があったと暴露したのだ。

「佐藤栄作はおお嘘つきだ」
 非核三原則を大切にする国民は激怒した。日本の恥部だと、かれをノーベル平和賞の受賞者を褒めたたえようとしない。
 現代の青少年に「日本人でノーベル平和賞をもらった人は誰ですか」と質問しても、誰もがほとんど首をかしげるばかり。
 国民が自慢する人物ではなくなったのだ。
 
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 戦前、戦後を通じて、長州出身(山口県)の政治家は、数多く内閣総理大臣にかけ登っている。
 かれらに共通している点は、経済界人との結びつきが強く、その人脈を利用した、半独裁主義者のような強い権力をもつのが特徴だ。

 安倍晋三総理大臣のもとで、人脈がらみで森友学園と加計学園の問題が起きた。国会やメディアが追及すると、ねつ造文書や隠ぺい資料が次つぎに出てくる。

 これは安倍首相自体に、「国民にたいする嘘の答弁、公文書のねつ造は、重大な歴史犯罪だ」と、認識が欠如しているから、行政の底流に、国民を欺く土壌が生まれてしまうのだ。
 
 ここ100年の歴史において、安倍首相の血統の松岡元外相、岸信介元首相らが、世界中からバッシングされた『満州』がらみから平和解決でなく、戦争推進の役目を担ったという歴史的事実がある。やがて、第二次世界大戦争に発達させたうえ、国民にとてつもない大きな戦争犠牲を強いる結果になったのだ。

 私たちは戦争・戦場を知らない。しかし、日本国民一億人が、戦争責任を問われて、戦後まもなくから、素直に先祖の戦争行為を詫びて、会社で働いた税金で、諸外国に延々と賠償金を払いつづけてきた。

 つまり、少数の軍国政治家のミスリードで、半世紀以上も、全国民が戦争という負の支払いを綿々と続けてきたのだ。
 もう、こんな虚しい戦争支払いなど、やらさせないでほしい。戦争推進の政治家はもう欲しくない。これが庶民の素直な気持ちだ。

 満州がらみの戦争責任の大部分は、松岡元外相、岸信介元首相にあるといっても、過言ではない。安倍首相は、身内の先祖が犯した過ちを十二分に認識し、己は戦争に民を巻き込まないぞ、というひと一倍の決意で施策、方針を取るべきだ。
 戦争を招きかねない関連法案が出てくると、国民は本能的に、あなたの血筋に戦慄し、畏怖しているのだ、と知るべきだろう。

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 私たち国民はけっして無能ではない。口先でごまかされない。

 為政者が支配しているときは、目を閉じ、物いわずとも、かれらの死後から幾年たって、その政治家の墓に泥をかけたり、削ったり、銅像の首を落としたりするケースすらもある。

 伊藤博文は名誉ある初代総理大臣なのに、後世で、悪く書かれてしまう。
 佐藤栄作元首相だって、ノーベル平和賞は国民の良心として返還すべきだと、いまなお主張するひとたちが巷にいる始末だ。

 民の頂点にいる安倍晋三首相は、『善政』の実行に身を挺してほしい。善政とはなにか。総理の権力・権威・権限にしがみつかず、いい恰好をしたり、逃げたりしないことだ。過去の偉人から学び、わが身よりも民の安堵(あんど・幸福感)を最優先に考えることだ。


 あるべき政治家の姿は、100年後を見据えて、『戦争をしない。国民を飢させない。国を滅ぼさせない』と、打つ施策がすべてこの原理につながるべきである。

 総理の取り巻きの政治家らは、ねつ造や粉飾、虚言、焚書などにたいしても、是々非々の強い姿勢と勇気がなければ、いつかきた悪しき政治の道にながれてしまう。権力者にたいして物言えぬ取り巻きにこそ、むしろ重い責任があるのだ。
 その認識こそが、世にいう政治家の果たすべき使命である。


写真=Google 写真・フリーより

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